いろは歌47首


「いろは歌47首」

石門心学の文献から道歌を拾って注釈を施したものを「いろはうた」の形式でまとめてみました。まずは、古来伝わる「いろは歌」から紹介します。「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす(=色は匂へど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず)」は、中学教科書でも取り扱われています。すべての仮名を重複させずに作られた七五調の今様歌で、『涅槃経』[無常偈](諸行無常 是生滅法 消滅滅已 寂滅為楽)を意訳したものと言われています。「いろは歌」の解釈には諸説ありますが、私なりに「色鮮やかに咲いていた花も散ってしまったことだ。この世の中でいったい誰が変わらずにいることができようか。無常の現世の煩悩を超越し、はかない夢を見ることもせず、何かに陶酔することもさけようではないか」などと解釈してみました。
道歌とは、道徳的な教えをわかりやすく詠んだ歌で、石門心学の祖、石田梅岩やその門下生が子女への教訓として広めたものです。以下の「いろは歌」は、梅岩の一番弟子、手島堵庵が『女児ねむりさまし』と題して詠んだ二種類の「いろはうた」を中心としつつ、適宜その他の文献からも引用し、注釈を加えたものです。

[い]いぢがわるふは 生まれはつかぬ 直(すぐ)が元来(もとより)うまれつき

[解釈]人間は意地が悪くは生まれつかないものだ。素直であるのが生来の性格なのだ。
[鑑賞]手島堵庵は、『女児ねむりさまし』の冒頭付近で、「修身の要語をやはらげ、覚へやすからんがため、いろはの序をもていやしき詞をつゞり、聊か善心を興す便りとならん事をねがふ(=身を修めるかなめとなる言葉をわかりやすくし、覚えやすくするために、「いろは歌」の順序で下手な歌をつなぎ、少しでも善心を興すきっかけとなることを願っている)」と述べた。石門心学は、儒教の教えをもとにすることが多く、これも孟子の「性善説」に立ったものである。孟子の「人性之善也、猶水之就下也、人無有不善、水無有不下(=人間の本性が善であることは、ちょうど水が低い方に流れることと同じようなものだ。人間の本性に不善なものはなく、水に下に流れないものはないのだ)」という考え方と共通する。そこで私も「意地悪は 強き者には せぬもので 弱きをねらう 哀れなるもの」などと戯れ歌を詠んでみた。

[ろ]労(ろう)すべき ことはわが身に 引きうけて 善は元値(もとね)と 知りてほこらじ

 [解釈]苦労してやらなければならないことは、自分から進んで引き受けて、善を行うことは人間の本来のものと知って、自慢はしないようにしよう。
[鑑賞]この道歌も[い]と同じような側面を持っているが、これは『論語』[公冶長]の「願無伐、善無施労(=願はくは善に伐ること無く、労を施すこと無けん=私が願うことは自分の善行を誇らずに、つらい仕事を他人にやらせるようなことをしないことです)」を踏まえたものである。この一節は、孔子が弟子の子路と顔淵に向かって、「自分の生き方としてどのようなことを望んでいるか」と尋ねた際の顔淵の返事であった。世知がらい現代社会には、この道歌や顔淵の言葉と相反する生き方をする人物の何と多いことか。

[は]春秋(はるあき)の 移りかはるも 身の働(わざ)も 同じ流れか 水しらですむ

[解釈]季節が移り変わるのも、人間が去っては来たるのも、水が留まることなく流れているのと同じようなものなのだろうか。
[鑑賞]天地は絶え間なく移り行き、一瞬も留まることがない。人間もまた往く者があれば来る者がある。あたかも川の流れのようでもある。水は静かに無心に流れ去っている。河の流れと言えば、鴨長明の随筆『方丈記』冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」が想起されるが、堵庵はそれではなく、『論語』[子罕]の「子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜(子川上に在りて曰く、逝く者は斯くの如きか。晝夜を舎かず=孔子が川のほとりにいておっしゃるには、天地の間に往く者が通り過ぎれば来る者が続き、昼夜を問わず流れて行く水のようだ)」という一節を踏まえている。水については、『老子』[八章]に「上善若水(=最上の善は水のようなものである)」とあるが、上善たらずとも水が流れるように留まらず、前向きにかつ静かに歩んでいきたいものだ。

[に]にこにこと きげんよくして 父母の こころにまかせ なびきつかへん

[解釈]いつもにこにこと機嫌よくして、父母と接する場合にはそのお気持ちを大事にして、心をこめてお仕えしよう。
[解説]これは、『論語』[為政]の「子夏問孝、子曰、色難(=子夏が孔子にあるべき孝について尋ねた。孔子は「穏やかな顔色で親に接するのが大切だが、それがなかなか難しいのだ」と答えた)」を踏まえたものだが、この一節の続きには、親に何かの仕事があるときはそれに替わることや、おいしいものを勧めて食べさせることを世間では親孝行と思っているが、そればかりではないのだ、という一節がある。親というものは、子どもの喜びを自分の喜びとするものである。この道歌も論語も、子どもとして親に何かをして差し上げることが大切だが、いつも笑顔で親に接することがさらに大事だと言っているのである。親が年老いて頑固になったりわがままになったりしたらなおさらのことであろう。

[ほ]ほしやをしやの 思案は鬼よ 楽なこころを 苦しめる

[解釈]あれが欲しい、これが惜しい、などという考えは邪悪なもので、心静かに穏やかでいる心を苦しめるものなのだ。
[鑑賞]中国宋代に朱熹の門人、劉子澄が著し、日本では江戸時代に用いられた初学者用の教科書『小学』[内篇]に、「敖不可長。欲不可従。志不可満。楽不可極(=傲慢な心を伸ばしてはいけない。欲望を欲しいままにしてはいけない。志をすべて成し遂げてはいけない。楽しみを極めてはいけない)」とあるが、この道歌はそれに通じるものだ。鎌倉時代の仏教説話『沙石集』でも、「欲に頂き無くして、欲心は其の極まる事を知らず」あり、欲望には限りがなく、それが極楽往生の妨げになることが説かれている。現代社会を見るに、かつて存在した共助の精神は薄らぎ、自助の考え方が広められている。この自助の考え方は、自分のみを助けるもので、欲をふくらませる道につながる。それにしても何と強欲な人間たちが世の中に増えてきたことか。

[へ]へつらはず 驕ることなく 争はず 欲を離れて 義理を案ぜよ 

[解釈]上の人に気に入られようとしておべっかを使ったり、下の者におごり高ぶったりすることなく、また、争いごとをせず、欲望を断ち切って、損得抜きに道義を重んじることが大切なのだ。
[鑑賞]この道歌の作者は、江戸前期の公卿で歌人の、烏丸光広とされるが、その後も多くの人物が同じ歌を詠んでいる。同趣の道歌に「へつらひて 楽しきよりも へつらはで 貧しき身こそ 心安けれ」というものがある。これらは、前漢時代の思想書『揚子法言』[修身]にある「上交不諂、下交不驕、則可以有為矣(=上位の者に対してへつらうことなく、下位の者に対しておごり高ぶらなければ、物事を成し遂げることができる)」という一節に通じるものがあるが、あるいは、『論語』[学而]にある子貢の「貧而無諂、富而無驕(=貧乏であっても媚びへつらうことなく、裕福であってもおごり高ぶらない)」という言葉を踏まえたのかも知れない。いずれにしても、その反対の行動をする人々を目にすることが多いというのが現実だ。

[と]年よれば 友を八人 まうけたり 皺(しわ)がよつたり 年がよつたり 

[解釈]年を取ったので友だちを八人も作ることとなった。皺が寄ったことで四人、年が寄ったことで四人ということで、たくさんの友だちが増えてありがたいことだ。
[鑑賞]「まうけ」は、「設け・儲け」で「作る」の意。「よつたり」は、「寄ったり」と「四人(よたり)」との掛詞。現代では、年を取る嘆きが語られることが多いが、かつては、年を取ることの良さが強調されていた。例えば、「年が薬・年こそ薬なれ」のように年輪を重ねることで若気の至りを直す薬となるというものや、「亀の甲より年の功」などのように年長者の人生経験や知恵は尊重しなければならないという教えなどがそれに当たる。私の場合は、「年経(ふ)れば 齢(よはひ)は老いぬ しかはあれど 花をし見れば 物思ひもなし(=年月が経ったので年老いてしまった。そうではあるが、この桜の花を見ると、何の悩みもなくなってしまう)(古今集・52)」という心境に立とうとするのだが、今なお「花」とも言うべき美しい女性を見て心が騒ぐことを何としたものであろうか。

[ち]智恵のある 人ほどものに 自慢せず 能ある鷹は 爪を隠すぞ

[解釈]本当に知恵のある人は、何につけても自慢はしない。実力を備えた人は、みだりにそれをひけらかすようなことはしないものだ。
[鑑賞]「能なし犬は昼ほえる」ということわざがあるが、役に立たない犬が必要のない時に吠え立てるように、才能のない人間に限って大げさなことを言ったり騒いだりするものだ。本当に実力のある人は、必要とされる時にのみ力を発揮するのだが、それでも回りの人はその実力を認めている。だから、能ある人はふだんから謙虚でありもの静かでもある。この道歌の下の句「能ある鷹は爪を隠す」は格言としてさまざまな場面に登場している。なお、世人の尊ぶ「智恵」にしても『老子』[18章]では、「大道廃、有仁義。智恵出、有大偽(=大いなる道が廃れ始めてから、仁義が説かれるようになった。智恵が働き出してから、大きな虚偽が行われるようになった)」とされ、為政者が役に立たない知恵を働かせた政策を取ると、人々はその対策としてごまかしをするようになるものだ、と否定的にとらえられている。

[り]利口ぶるのは 大かたあほう 知れた通りで よいことを

[解釈]利口ぶって知ったかぶりする人間は、そのほとんどが阿呆である。たいしたことでもなくわかりきったことを……。
[鑑賞]これは五・七・五・七・七の和歌形式の道歌ではなく、江戸の後期ごろに始まった七・七・七・五の「都々逸(どどいつ)」の形式で語られた。都々逸は、人情の機微を表現したものが多く、その口調の良さが気に入られて庶民の間で流行した。同趣のものに、「利口貧乏、馬鹿の世持ち」という格言があるが、これは、自分を利口だと思っている者は、いろいろなことに手を出して失敗し、財産を失うことが多いが、自分は馬鹿だと心得ている者は、無理をしないので堅実な生活を保つことができるというものである。さらに、『論語』[陽貨]には、孔子の言葉として「悪利口之覆邦家者(=口先が上手な利口者が国家を滅ぼすものであり、私はそれを憎む)」という一節がある。その意図するところは、前述の道歌や格言が意味するものよりも格段に奥が深い。蛇足ながら、「悪」は「憎む」の意、「利口」は「口先上手で黒を白と言いくるめる人」の意で用いられている。

[ぬ]抜かぬ太刀 功名こそは すぐれたれ 離さぬ矢にて 射ると同然

[解釈]太刀を抜かないで手柄を立てることは、弓を射ないで敵に勝利することと同じで、武器を使用せずに敵に勝利することになる。これこそが優れた戦いの道であるよ。
[鑑賞]「抜かぬ太刀」は、刀を抜かないまま実戦で勝ったのと同様の勝利を得ることだが、実際に手腕や力量を示さないで、功を奏することことのたとえとしても用いられた。剣豪の塚原卜伝が渡し船の中で真剣勝負を挑まれた時に、相手を先に川州にあがらせて、自分は竿を突いて舟を出して戦わずに勝利し「これぞ無手勝流」と称したという逸話があるが、これも同趣のものである。而るに昨今、声高に武器の使用を叫ぶ輩が増え、好戦的な風潮が高まっている。何と復古的で危険な流れであろうか。さらには、「三本の矢」などという怪しげな言葉まで喧伝されるようになった。この「矢」は身内を喜ばせるだけのもので、何たる独善的な三本の毒矢であろうか。

[る]類もなき 宝と知らば 本心を 何とてほかの ものにかゆべき

[解釈]「本心」が他に類のない大切な宝だと悟ったならば、本来備わっている善なる心をどうして他のものと替えることができようか。
[鑑賞]ここでいう「本心」とは、人間にもともと備わっている善良な心で、孟子の「性善説」に立った考え方である。孟子は「尽心章句・上」で、「尽其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也(=自己の本心を十分に発展させた者は、人間の本性を悟るであろう。本性を悟れば、すなわち天命を悟るのだ。なぜなら、人間の本心を保ち、人間の本性を養うことが、天に奉仕することであるからだ)」と述べた。手島堵庵の『会友大旨』(講義旨趣)にも、「本心を知りて見れば心徳元来新也。赤子の時たれか心の汚れたる者あらんや(=人間の本心というものを考えてみると、心の徳というものはもともと新しく汚れのないものなのである。生まれたばかりの赤子の時、誰か心の汚れている者などあろうか)」とある。この道歌は、それらの考え方を踏まえたものであろう。

[を]をのが身の 主人を知らで 欲といふ いたづら者に まかすあぶなさ

[解釈]自分の身に本来備わっている良心という「主人」のことを忘れて、欲望という「悪戯者」の悪心に引きずられて身を誤る危なさを知れ。
[鑑賞]ここでの「主人」は、自分の身にもともと備わっている良心のことで、「本心」と同じ意味で用いられている。身を律する「主人」としての善なる「本心」を比喩的に表現したものである。「いたづら者」は、漢字のあて方によって意味が異なり、「悪戯者」ならば、悪さをする者、とくに、淫らなことをする者であり、「徒者」ならば、役に立たない人、無用の人ということになる。手島堵庵は、さまざまな著書でしばしば、男女間の規律の大切さと性欲に引きずられる恐ろしさを強調してきたので、「悪戯者」とあてるのが妥当であろう。『孟子』[告子]に「仁人心也、義人路也。舎其路而弗由、放其心而不知求。学問之道無他、求其放心而已矣(=仁は人間が本来持っている心であり、義は人間が必ず踏み行くべき道である。世の人はこの正しい路を捨ててこれに由らず、この仁の心を失ってもこれを探し求めようともしない。学問の道は他にはなく、ただ失ってしまった良心を探し求めるためだけのものである)」とあるが、堵庵はこの考え方に立って、江戸の町人たちに「心学」の道を説いたのだった。

[わ]我にある 宝を知らぬ 愚かさに 世界の物を 欲しがりぞする

[解釈]自分が持っている宝ともいうべき大切なものに気付かないで、愚かにも回りにある目新しいものを欲しがってばかりいる。
[鑑賞]昨日取り上げた内容と類似する欲望の戒めである。これは手島堵庵の弟子の布施松翁が著した『松翁道話』にあるもので、「宝」とは人間に本来備わっている善良な心を意味するものであろう。堵庵のもう一人の弟子の鎌田一窓は、『売卜先生糠袋』で、「足る事を知らざれば、千筥の宝も無きが如し(=現状を満ち足りたものと理解しない者は、多くの財産があっても、財産を持っていないのと同じようなものだ)」と述べた。これを裏返しにすれば「足るを知る者は富む」ということになり、『老子』(三十三)の「知足者富、強行者有志(=満足を知る者は富み、力を尽くして行う者は志を遂げることができる)」と同じ考え方になる。人間の欲望は限りない。自分になく隣にあるものが欲しくなる。現代でも「隣の芝生は青い」や「隣の花は赤い」というたとえが用いられるように、他人の持つ物は何でもよく見えてうらやましい気持ちになる。だが、そろそろ「足るを知る」ことを心すべき時代になったのではなかろうか。

[か]金をのみ 欲しがる人ぞ をかしけれ こがねが飯の かはりやはする

[解釈]金ばかりを欲しがる人がいるが、おかしなものであるなあ。金が飯の代わりをすることがあるか、そんなことはないぞ。
[鑑賞]江戸時代前期の『和論語』に「金玉不救饑(=黄金や宝石では飢えを救うことはできない)」とあるが、これを踏まえたものだろうか。現代でも、「ひつじが紙を食うように、ひつじ年の人はお札を食べるから金が貯まらない」というでたらめがまことしやかに語られるが、山羊と違って羊は紙を食べないし、江戸時代の金銭はすべて金属で作られていたので、とても腹の足しになるものではなかった。なお、ここでの「金」は金銭ばかりでなく、不要な贅沢品を指し、「飯(めし)」は食べ物ばかりでなく、生活必需品を指す。『和論語』は、天皇・公卿・僧侶・武将などの言行や金言を収録し、『論語』に擬して、沢田喜太郎が編んだ教訓書で庶民の間で愛読された。「やはする」は反語で、することがあろうか、いや、することはないの意。誰にでもわかる単純な内容だが、かみしめれば奥深いものが含まれている道歌である。

[よ]世にあれば 人も集まり 来たれども 落ちぶれぬれば 訪(と)ふ人もなし 

[解釈]時流に乗って栄えている時には、たくさんの人がわが家に集まってきたが、ひとたび落ちぶれてしまったら誰も訪ねてこなくなってしまった。
[鑑賞]中国唐代の伝奇小説『杜子春伝』を元にした芥川龍之介の短編小説『杜子春』には、杜子春が大金持ちになって贅沢三昧な生活をすると、今まで挨拶もしなかった友だちが朝夕やって来るようになった。しかし、一年二年と経って貧乏になり始めると、昨日まで毎日来た友だちも、今日は門の前を通ってさえ、挨拶一つしていかなくなった、という話が書かれている。世間の人たちのずるさと薄情さを端的に表したものとして知られている。この種の話は他にもある。平安中期の漢詩文集『本朝文粋』[秋夜感懐]には、「家貧親知少、身賤故人疎(=家が貧しいと親しく付き合ってくれる人も少なかったが、落ちぶれてしまったら、昔からの知り合いまでが遠ざかってしまった)」とあるが、これは貧しい状態が進むと、さらに悲惨な結果になることを示している。それが人の世の常だろうか、いや、そうばかりではなく人には善意が備わっていると信じたいものだ。

[た]誰もみな 人は裸で 尊かれ それが生まれの ままの元値ぞ

[解釈]誰でもみな、赤子のように無心であるのが尊いのだ。生まれたままの純真な心を持っていることが本来の人間の姿であるぞ。
[鑑賞]この道歌を「裸一貫」の無一物の状態であっても、日々真面目に努力せよ、の意と解する見方があるが良しとしない。自分の体以外に何の財産もないが、努力の末に大きな財産を得たという教訓として用いられることがあるが、ここでの趣旨とは合わない。また、欲望を戒める言葉として、『売卜先生糠袋・全』にも、「往古より産衣(うぶぎ)着て生まれたといふ人聞かず、褌(ふんどし)かいて誕生したる沙汰もなし。みな丸裸で生まれたる人なり(中略)丸裸で生まれ、その丸裸で死ぬるこの身。金銀財宝一物も我がもの有らんや」とあるが、この趣旨も当たらない。堵庵のこの道歌は、『孟子』[離婁]の「大人者不失赤子之心者也(=大徳の人と言われるほどの人物は、いつまでも赤ん坊のような純真な心を失わずに持っているものだ)」という言葉を踏まえたのであろう。

[れ]歴然に 巡る因果は くるくると くるりくるりと 跡を留めず 

[解釈]紛れもなくはっきりしていることは、因果はくるくると回り回ってきてその痕跡を留めないが、善行の後にはよい結果が、悪行の後には悪い結果が待ち受けているものだ。
[鑑賞]この道歌はとんちで名高い一休禅師の作であるが、道元禅師の『正法眼蔵随聞記』の「おおよそ因果の道理、歴然(れきねん)として私なし」を踏まえたものであろう。道元禅師は、「善因善果、悪因悪果」の真理に基づいて「歴然として私なし」であるべきで、世の中は公平無私でなければならないと説いた。大上段に構えた道元に対して、一休は斜に構えた「くるくると」「くるりくるりと」という世俗かつ滑らかな表現で同趣の内容を主張したのである。一休禅師は、世俗的な名利を嫌って在家的で大衆的な禅の道を説いたが、その人間味あふれる行動は広く親しまれた。一方で、戒律を破って女色・男色に興じたり、異様な風体で町を闊歩したりすることが当時の禅界や権力者などから忌避された。だが、一休の思想の根底には、当時の禅界の堕落と世相の腐敗に対する厳しい批判精神があったことを見逃してはならない。

[そ]その道に 入らんと思ふ 心こそ わが身ながらの 師匠なりけり

[解釈]その道に入ろうと思う気持ちこそが自分の身に備わった師匠のようなものであるのだなあ。
[鑑賞]これは千家流茶道の開祖、千利休の『利休道歌』所載のもので、茶の湯を習う人にその心構えややり方をわかりやすく説明した道歌である。百首の道歌の最初に読まれたものだが代表歌とされ、その内容はあらゆる稽古事に共通する側面を持っている。類似の言葉に「好きこそものの上手なれ」があり、好きなことは熱心に努力するので、上達も早いという意味で使われている。精神力の大切さを説く「精神一到何事か成らざらん」もこれに類似の格言であろう。松尾芭蕉は、『笈の小文』で「つゐに無能無芸にして只この一筋に繋がる」と述べたが、この俳諧一筋という精神も利休の思いに通じるものがあるのだろう。芭蕉は俳諧の道に生涯を捧げたが、利休や芭蕉など、先人たちの努力に心打たれるばかりだ。

[つ]慎みも なくて言葉を もらす人 後の破れを 招くなるべし

[解釈]何の慎みもなく、生半可な知識をひけらかす人は、後になって回りの人からの厳しい批判を受けることになるだろう。
[鑑賞]この道歌の内容は、『論語』[為政]の「多聞闕疑、慎言其餘、則寡尤(=多くのことを聞いて、疑わしいと思うところは取り除いて置き、その他の確かなところを慎重に発言すれば、他人から咎められることは少ない)」と共通する。口数の多い者は言わなくてもいいことまで言って他人に迷惑を掛けたり、自分に災いを招くことが多いという戒めの格言は少なくない。「口は災いの元」から始まって「多言は身を害す」「多言なればしばしば窮す」などがそれに当たる。自信家に限って長話をするもので、滔々とまくし立てることが多いが、聞かされる側はたまったものではない。ためになる有益な話ならまだしも、多くの場合は浅薄な知識を振りかざしての自慢話である。こんな人物が世の中に何と多いことか。

[ね]願はくは 花の下(もと)にて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月のころ 

[解釈]願うのは、桜の花の下で、春のさ中に死にたいということだ。釈迦の入滅の日である、二月二十五日の満月の頃に。
[鑑賞]これは『山家集』『続古今集』にある西行法師の歌で、いわゆる道歌ではないが、道歌的な面も感じられるのでここに取り上げた。西行は、諸国を行脚し仏道に帰依した歌人として知られている。この歌は、西行の辞世歌と言われるが、実際には、心に思い続けてきた願いをこめて死の数か月前に詠んだものである。満ちあふれる月光に照らされて輝くばかりに美しい桜花が見える。地面には桜の花びらが一面に散り敷いている。その上に心静かに座して法悦の中で臨終を迎えたいという歌だ。花と月という伝統美に包まれた至福の中での死は、西行にとっては理想のものであった。なお、西行の死を悼んで同時代の歌人の藤原俊成は、「願ひおきし 花の本にて 終はりけり 蓮(はちす)の上も 違(たが)はざらなむ」と追悼歌を読んだ。時に西行は72歳、俊成は喜寿を迎えんとしていた。当時としてはともに長生きであった。

[な]為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり

[解釈]何事でもやろうとすればできる。やらなければできない。できないのは、その人がやろうとしないからだ。
[鑑賞]この道歌は、江戸中期の出羽国の米沢藩主、上杉鷹山(ようざん)が家臣に示した歌として知られるが、それより前に手島堵庵が、「為せば成る 為さねば成らぬ 成るものを 成らぬといふは 為さぬ故なり」と詠んでいた。鷹山の歌が人口に膾炙したのは、声に出して詠んでみると堵庵のものよりもリズミカルでわかりやすかったからであろう。なお、鷹山は倹約・殖産興業政策で藩政改革に努めた人物で、有言実行の屈指の名君として名高かった。二人はともに、『孟子』[梁恵王]の「不為也。非不能也(=為さざるなり。能はざるに非ざるなり)」という一節を踏まえて詠んだのだろう。会社では上司が、学校では教師が、部下や生徒に向かって、「これをやりなさい」と何かを指示すると、「私にはできません」という返事がすぐ返ってくる。若い人たちの間では新しいものに挑戦しようという意気込みが感じられなくなっているようだ。今に始まったことではないが、失敗を恐れる人が多い。何事も恐れずに挑戦して欲しいものだ。そうしなければその人の進歩はない。

[ら]楽せんと 楽する楽は 楽ならず 楽は苦の種 苦は楽の種

[解釈]楽をしようと楽をする楽は、ほんとうの楽ではなく目先の楽に過ぎない。いまの楽はあとの苦労の種であり、いまの苦労はあとの楽しみの種なのだ。
[鑑賞]これは手島堵庵の道歌だが、その下の句は金言としてしばしば語られている。類句に、「楽は苦の本、苦は楽の本とかや(『売卜先生糠俵』)」「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり(『江戸いろはがるた』)」「楽は一日、苦は一年」など、類似の表現が少なからずある。この道歌は解説しようがないほど明快だ。だが、これを実践しようとするのは難儀だ。親や教師がしばしばこの言葉を発するが、子どもはなかなか実行に移そうとはしない。だが、子どもばかりでなく、私とても同じで、ビルの何階かへ行く時や駅のホームに出る時に、階段を使って上る方が健康によいことはわかっているが、ついエスカレーターやエレベーターを使ってしまう。金言としてはわかるが、その実現が難しいのだ。

[む]無理言はず 無理せぬほかは なかりけり かかる人をば 仁者ともいふ

 [解釈]人に対して道理に合わないことを言わず、自分でも道理に合わないことをせずにいる。それ以外に正しい道はないのだ。それが実行できる人物を仁者ともいうのだ。
[鑑賞]手島堵庵はこの道歌に、『論語』[顔淵]の「克己復礼為仁(=おのれの欲望に打ち勝って、節度ある礼儀を守って社会と一体になるのが仁なのだ)」という一節を添えているが、『論語』では欲望の克服に主眼が置かれているので、この道歌の趣旨とはやや趣を異にしているように思われる。この道歌の意味するところは、道理に反することが平気でまかり通る世の中では、道理に叶ったことが行われなくなるというものである。すなわち、「無理が通れば道理そこのけ」「道理そこのけ無理が通る」という格言通りになる。いま国会では「秘密保護法」という戦前回帰の怪しげな「無理」が審議されている。憲法の保障する基本的人権を侵すもので、明らかに道理に合わない法案だ。これが国会を通過すると、『江戸いろはがるた』でいう「無理も通れば道理になる」という事態になるだろう。さらには、いくら道理を主張しても聞き入れられそうもない時は、身の安全のために引っ込んでいようという心理になってしまう。我々は、「見ざる、言わざる、聞かざる」という猿ではないのだ。

[う]うち向かう 鏡に親の 懐かしき わが影ながら 形見と思へば

[解釈]鏡に向かって自分の顔を見ていると、そこに親の顔を見いだすことがある。自分の顔であるのに、そこには今は亡き親の面影が現れている。親の形見の自分だ思うと、親が懐かしく思い出されるものだ。
[鑑賞]作者は江戸時代後期の戯作作家、滝沢馬琴で、この道歌には「亡き親の忌日に墓参せんとて、先ず櫛けづらせて鏡にうち向かひつつ詠める」という詞書きが添えられている。同趣のものには、「子は親に 似たるものぞと 亡き人の 恋しきときは 鏡をぞ見よ」という道歌がある。また、落語にも「松山鏡」というものがあるが、それは、松山に住むある孝行息子が殿様から誉められて、「田んぼか、家か、金か、ほうびに何が欲しい」と問われた時に、「何もいりませんが、死んだ親父の夢が見たい」と答えたところ、殿様はほうびとして鏡を与えたのだった。それをもらった孝行息子が鏡で自分の顔を映したところ、そこに親父の顔が見えて感激して涙を流したという孝行話である。思い当たる人もいるだろう。

[ゐ]井を堀りて いま一尺で 出る水を 掘らずに出ぬと 言ふ人ぞうき

[解釈]井戸を掘って、もう一尺で出て来るはずの水を、途中で諦めて水が出ないからやめると言うような人はいやだ。何ごとによらず、最後までやり遂げない人間は好きになれないのだ。
[鑑賞]この道歌は、『孟子』[尽心]の有為者辟若掘井,掘井九軔而不及泉,猶為棄井也(=なすべきことがある者は、たとえて言えば井戸を掘るような場合に、井戸を九仭の深さまで掘っても水源に達しなければ、その井戸を捨ててしまったのと同じようなものだ)」を踏まえている。「終わり良ければすべて良し」とも言われるが、物事は最終結果こそが重要であり、途中の経過はさほど大切ではないという意も含んでいる。この教訓を踏まえて、さらに「今日できることを明日まで延ばすな」という気持ちで、一つずつ小さいことを片付けていくことにしよう。

[の]のちと言ふ その怠りに 倒されて 今日を空しく 暮らすはかなさ

[解釈]後でやるよと言った自分の怠け心に負けてしまって、結局は何もしないで今日一日をぶらぶら過ごすことになってしまったその空しさよ。
[鑑賞]この趣旨を述べる言葉は無数にある。そのいくつかを挙げれば、『論語』[陽貨]には「日月逝矣、歳不我与(=月日は過ぎて行くし、歳は私を待ってくれない)」とあり、詩吟で愛唱される「偶成」にも「少年易老学難成、一寸光陰不可軽(=少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず)」とある。これは朱熹の作と伝えられていたが、日本の禅僧の作だと見直されるようになった。道歌にも、「今いまと 今といふ間に 今ぞなく 今といふ間に 今ぞ過ぎゆく」「今日も今日 仇に過ごして 明日明日と 言えば千歳も むなしからまし」などがある。なお、『古文真宝前集』[朱文公勧学文]では、学問に関連させて、「勿謂今日不学有来日、勿謂今年不学有来年(=今日学問をしなくとも、明日があるといって怠けてはならない。今年勉強しなくとも、来年があるといって、空しく月日を過ごしてはいけない)」とあり、さらには、陶淵明の「雑詩」に「及時当勉励、歳月不待人」ともある。禅堂に掛けられる前門の板木(はんぎ)にも「生死事大、無常迅速、光陰可惜、時不待人」とあるが、これは日々心に留めたい言葉である。「今でしょ!」が今年の流行語大賞を得たが、それは二千年も前から言われていたので何の目新しさもない。

[お]恐るべし 色と酒との 淵に身を 沈むと知つて はまるものなり

[解釈]恐れなければならないものは、女色と酒である。人はそれが深い底とわかっているのだが、はまってしまうものである。
[鑑賞]これは手島堵庵の弟子、脇坂義堂の『御代の恩沢』に見えるものだが、義堂の同趣旨の道歌に「狐より 色と酒とが 化かすぞと 知りつつ罠に かかる身ぞうき(=狐よりも色と酒とが心を迷わせると知りながら、色と酒とに手を出す自分が情けない)」とある。いずれも分別あるもっともな話だが、なかなかそうはいかないのが人の世であろう。むしろ、正直に本音を言った江戸の狂歌師、四方赤良の「世の中は 色と酒とが 敵(かたき)なり どふぞ敵に めぐりあひたい」の方が面白いのではなかろうか。なお、出典未詳の狂歌だが、「酒もまた 飲まねばすまの 浦さびし すぐればあかし 波風ぞ立つ(=酒も飲まねばすまされない、うら寂しい時もあるものだ。しかし、須磨を過ぎると明石になるように、酒も過ぎると顔が赤しとなって、人と口論などしてしまうものだ)」というものもあって分別くさい道歌よりも面白い。酒好きな小生はまさに後者そのものである。

[く]久米の仙人 おかしひことよ うその皮みて だまされた

[解釈]久米の仙人はおかしなことをやったなあ、女のやわ肌を見て目がくらんでしまったぞ。
[鑑賞]これは和歌でなく、七・七・七・五句の都々逸だが、その分だけ唱えやすいので、「やあい、やい」とはやし立てたものなのだろう。久米仙人は、大和久米寺の開祖と伝えられる高僧で、厳しい修行の末に仙人となったが、吉野川で洗濯する女性の脛を見て、飛行の神通力を失い空から落下して堕落したという話が『今昔物語集』『徒然草』などにある。なお、『今昔物語集』には、「即ちその女を妻としてはべるなり」と続きがあるので、「めでたしめでたし」とすべき面もあろうか。また、『徒然草』には、「誠に手足、膚などの清らに肥え脂づきたらんは、ほかの色ならねば、さもあらんかし(そういうこともあるだろうよ)」とあり、作者の兼好法師は、色欲をやむを得ざるものとして肯定的にとらえている。なお、「うその皮」は、うわべを取り繕った全くの嘘の意で用いられることが多いが、ここでは、真の仏性に対する女性の肉体を意味している。

[や]山川の 末に流るる とちがらも みを捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ

[解釈]山あいの川を下って流れる栃の殻は、中の実を捨てることで下流の浅瀬で浮かび上がることができる。どのような土地柄や立場であっても、わが身を捨てる覚悟があれば、いずれは活路が見いだされるものだ。
[鑑賞]この道歌は、平安時代の高僧、空也上人の『空也上人絵詞伝』に見える。下の句は、「自分の命を捨てる覚悟で思い切って取り組めば、危機を脱して活路を開くことができる」という意の格言としてしばしば用いられている。「とちがら」は「栃殻」と「土地柄」、「み」は「実」と「身」との掛詞として用いられている。なお、「瀬」には、「浅瀬」と「機会」との二つの意味が含まれている。なお、この「捨ててこそ」は、もともと法語として空也上人が用いたもので、「一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ(=俗世の全てのことを捨てて『南無阿弥陀仏』と唱える念仏だけが、阿弥陀如来の本願に最も叶うものであります)」という意味で用いられていたものである。

[ま]丸くとも ひと角あれや ひと心 あまり丸きは 転びやすきに

[解釈]人当たりがよく円満であるのに越したことはないが、あまりに度が過ぎると失敗することも多いので、時と場合によっては自分の意地を通す一面があった方がよい。
[鑑賞]作者は皇統ながら反骨の僧と言われた一休禅師であり、円満な「丸」よりも「角」の方に力点を置いている。一休禅師は、事なかれ主義で周囲に迎合ばかりしていると自分を見失ってしまうので、筋を通さなければならない時には毅然とした態度を示すべきだと言っている。鎌田一窓の『雨の晴れ間』にも、「丸屋の親父、角屋の親父にむかひ、『丸かれや 唯まるかれや 人心 角のあるには ものゝかゝるに』。角屋の親父、また古歌を引いて、『丸くとも ひとかどあれや 人ごゝろ あまり丸きは 転びやすきに』。我等町人の分際なれば、上々様の事は知らず。我等ごとき町人の家を治むるには、妻子を始め手代小者を遣ふにも、あまり丸きは丸きにころび、姑息の愛に落つるものなり」とあるが、鎌田一窓も、「丸」ばかりで「角」がなくては、「姑息」な生き方になってしまうと批判している。

[け]稽古とは 一より習ひ 十を知り 十より返る もとのその一

[解釈]稽古というものは、まず基本となる第一歩から始めて、最後の段階である十まで進んだら、再びもとの第一歩に戻って最初からやり直さなければならない。そうしてこそ稽古したことの本質が見えてくるものなのだ。
[鑑賞]これは安土桃山時代の茶人、千利休の『利休道歌』所載のもので、茶の湯の教えをわかりやすく説明した百首のうちの一つである。利休は門人たちにこれらを暗誦させていたと伝えられている。この道歌は、茶の湯ばかりでなくあらゆる稽古事に共通する教えと言ってよいだろう。初歩から始めてひとたび最後まできわめたとしても、それは必ずしも真にきわめたとは言えない場合が多い。繰り返し稽古を積めば、今まで見えなかったこと、気がつかなかったことなどが現れて来るものなのだ。そもそも「稽古」という字は、「いにしえを考える」という意味なので、それを始めた昔に立ち戻ることを意味しているのである。

[ふ]踏まれても 根強くしのべ 道芝の やがて花咲く 春はきぬべし

[解釈]踏まれても踏まれても 道芝のように我慢強く耐えなさい。やがて花が咲く春が必ずやって来るだろうから。
[鑑賞]俗諺にも「踏まれた草にも花が咲く(=逆境の者にもやがて栄える時が巡ってくる)」とあるが、早春に行われる麦踏みもまた同じような意味を持っている。麦踏みは霜柱を防いで根張りをよくし、麦を太くし伸びすぎないようにする作業だが、人生の過ごし方にも通じるものがある。戦国武将、山中鹿之助の「七難八苦われに与へよ」という言葉もよく知られているが、これもまた同様の趣旨で、人は様々な困難を乗り越えてこそ成長するというものだ。同趣の格言に、「艱難辛苦汝を玉にす」があり、中国17世紀の『菜根譚』にも、「横逆困窮、是鍛錬豪傑的一副鑪錘(=ひどい仕打ちを受けたり、困難窮乏の苦労をすることは、優れた人物を鍛え上げるために、天が与えた一揃いの金属精錬の設備のようなものである)」という一節がある。これらの趣旨はすべてもっともなのだが、我々凡人は、ついつい「七難八苦」ならぬ「七楽八幸」を願ってしまうのである。

[こ] 心には なにはのことを 思ふとも 人のあしきを 言はざるぞよし

[解釈]たとえ心の中では、何は何だというようにいろいろと思うことがあったとしても、難波の葦のことを悪く言ってはならないように、人の悪口などは言わないのがよいのだ。
[鑑賞]「難波」と「何は」、「葦」と「悪し」とは掛けことばであろうが、関連づけて二重の意味を持たせるには無理があり、この現代語訳には問題があるかも知れない。だが、この道歌の趣旨は明快で、本人の前で言う「悪口」も、本人に隠れて言う「陰口」も決して口にしてはならないという戒めである。人の悪口を言う人は、自分はその人より優れていると自慢するうぬぼれ屋である。世間では残念なことに、「誉め手千人、悪口万人」と言われるように、他人をけなす人の方が圧倒的に多い。なお、「なにはのこと」については、豊臣秀吉の辞世歌に「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことは 夢のまた夢(=露のようにこの世に生まれ落ち、そして露のようにはかなく消えてしまったこの身であることよ。難波の大阪城で何やら過ごした日々は、夢の中の夢のようにはかないものだった)」とあり、そこにも「なにはのこと」とあるが、はたしてこの道歌はそれを踏まえたのであろうか、それとも偶然の一致だったのだろうか。

[え]江にうつる かげ愛するも 憎むのも もとはたちよる その身にぞよる

[解釈]水辺に映るわが姿を愛しく思うのも、映す水を憎く思うのも、わが身の美醜がそうさせる。水は良くも悪くもない。良く見えたり悪く見えたりするのはそれを映すその人自身の心にあるのだ。
[鑑賞]この道歌は、堵庵の「児女ねむりさまし」に見えるが、鎌倉時代の説話『沙石集』や、江戸時代の随筆『梅園叢書』にある「西施愛江、母憎鏡(=美女であった西施は姿を映す水辺を好み、醜女であった母は醜い姿を映す鏡を嫌って捨てた)」という一節を踏まえたものと思われる。また、作者不詳の類歌に「鏡見て 影はづかしと 思ふなら 早く心を 改めよ人(=鏡を見て自分の姿を恥ずかしいと思うならば、また、わが行いを心に映して恥ずかしいと思うならば、早くその心を改めなさいよ、あなた)」とある。二つの道歌ともその趣旨はわかるのだが、なかなかそうは思い切れず美醜を気にしてしまうのが我々凡人の悲しさである。

[て]天罰を 恐れぬ者を たとふるに 剣を踏みて 踊るとやせん

[解釈]天罰を恐れない人をたとえるとするならば、それは刀の刃を踏んでその上で踊る人とすればいいのだろうか。
[鑑賞]この道歌も、堵庵の「児女ねむりさまし」所載のものだが、『孟子』[離婁]の「不仁者、安其危而利其災、楽其所以亡者(=不仁者は、危険なことなのに安全だと思い、恐るべき災いなのに利益だと思っている。それはわが身が滅びる原因を楽しんでいるからだ)」という言葉が添えられている。堵庵はこの道歌を読むに当たって、さらに、『孟子』[尽心章句]の「知命者,不立乎巖牆之下(=授かった天命を知るものは、崩れかかった石垣の下に立つような危険なことはしない)」という一節も頭に思い浮かべていたことであろう。なお、「剣を踏みて踊る」は、歌舞伎に「剣の刃渡り」とあり、浮世草子にも「剣の刃をわたる」とあり、ともに、非常に危険なことや危ない状態にあることをたとえた言葉として用いられている。一方で、『後漢書』[班超]に「不入虎穴、不得虎子」ともあり、いずれの道を選ぶべきだろうか。小生は天罰や権力などを恐れずに後者の道を貫かんとするとするものである。

[あ]雨露に 打たるればこそ もみぢ葉の 錦を飾る 秋(とき)はありけれ 

[解釈]冷たい雨露に打たれたからこそ、美しい錦のように山野を染める秋の季節が来るのである。人生もまた同じで、厳しい苦労を経てこそ心豊かな生活を営むことができるのだ。
[鑑賞]江戸初期の臨済宗の僧侶、沢庵和尚の作である。沢庵は三代将軍、徳川家光の帰依を得て仏法を説いたり、後水尾上皇に法要を講じたりした。この道歌は、表面的には自然の営みの妙を述べているが、本質的な内容としては人生のあり方について述べたものである。誰にも必ず苦難がつきまとうものだが、それを乗り越えてこそ花が咲き実がなるように、人生においても成功がもたらされるものだと説いている。同趣の格言に「踏まれた草にも花が咲く」というのがある。なお、重要な場面や時期で用いられる「秋」という字は「とき」と読む。「錦」は種々の色糸で地色と文様とを織り出した織物のことだが、紅葉を比喩的に表現する場合にも用いられる。

[さ]さしあたる ことよりほかを 思ふなよ これを思ひの 位(くらい)とは言ふ

[解釈]自分が当面していること以外に何か別のことを思ってはいけない。これを大切に思うことが自分の本分なのだ。
[鑑賞]これは、堵庵が『論語』[憲問]にある曾氏の言葉「君子思不出其位(=君子たる者は、その思うことが自分の本文を越えないようにするものだ)」を踏まえて詠んだ道歌である。ここでの「位」は、わが身の位置でありいるべき所である。いわば、本分や本務に当たる。『徒然草』[131段]にも「己が分を知りて、及ばざる時は、速やかにやむを智と言ふべし。貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く(=自分の身の程を知って、力が及ばないと思う時は、早くやめるのが知恵と言うべきであろう。貧乏なのに身の程を知らなければ盗みをするようになり、体力が衰えているのに身の程を知らなければ病気に取り付かれるものだ)」とあるが、これも同趣の考え方であろう。時には分を守ることも必要かも知れないが、それは保守的な考え方であって、若者たちには通じない。若者たちは当面することだけにとらわれず、進取の精神を持って前に進むべきなのではなかろうか。その気魄があれば当面する課題も何とか乗り切ることができるだろう。

[き]気も知らで 顔に化かされ 嫁取りて あとで後悔 すれどかへらず

 [解釈]性格も何もよく知らないまま、美しい顔立ちに夢中になって嫁に迎えてしまった。後悔することが出てきても後の祭りで今さらどうしようもないことだ。
[鑑賞]「美女は生を断つ斧」という言葉があり、美女の色香に溺れることは不摂生を招き寿命を縮めるとも言われている。白居易の『長恨歌』には、楊貴妃が「廻眸一笑百媚生(=瞳を巡らしてにっこりほほ笑むと、限りないなまめかしさがあふれてくる)」とあり、彼女は絶世の美女と讃えられたが、「従此君王不早朝(=これから以後、玄宗皇帝は朝早くに政務を執ることをしなくなった)」とあるように、玄宗皇帝が色香に迷って政治を執らなくなって、ついには安禄山による反乱を招くことになったという。東西古今、男というものは女性の色香に迷わせられることが多いものだ。それを戒めるのがこの道歌である。同趣のものに、「花咲くは 実のなるためぞ 花にのみ 心やつして 実をば忘るな(=花が咲くのは実がなるために必要なものだ。だから、美しい女性にばかり気をとられていて、実を結ぶべき大事な仕事のことを忘れてはならないぞ)」というものもある。

[ゆ]ゆだんすな 比翼連理の 仲なりと ふちせにかはる 人の世の中

[解釈]油断するな。たとえ比翼連理のような仲むつまじい夫婦であっても、深い淵が浅瀬に替わるように心変わりするのが男女の仲なのだから。
[鑑賞]同趣の道歌に「ゆだんすな 身は鴛鴦の 仲なりと ふちせにかはる 人の心ぞ」がある。「比翼連理」については、白居易の『長恨歌』末尾近い一節の「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝(=願うことは、天空では二羽が常に一体で飛ぶ伝説の鳥である比翼の鳥のように、地上では幹は別でも枝が一体化した連理の枝のようでありたい)」を用いたものである。「ふちせ」については、『古今和歌集』[933]の「世の中は 何か常なる 飛鳥川 きのふの淵ぞ けふは瀬になる(=世の中には何が不変のものがあろうか。「明日」という名の「飛鳥川」が、昨日は深い淵だったのに、今日は浅い瀬になってしまったように、全てのものに変化が訪れるのだ)」とあるように、世の中や男女の仲が移ろいやすく無常なことをいうたとえに用いられる。夫婦がそうならないためには、互いに支え合うのは当然のこととして、惰性的な日常に流されることなく、それぞれが自分自身を磨いて新たな魅力を作り出すことが大切だ。今年の自分よりも来年の自分の方が魅力ある存在になれるよう努力しようではないか。

[め]めでたやな 下戸(げこ)の建てたる 倉もなし 上戸(じょうご)の倉も 建ちはせねども

[解釈]ああめでたいことだ。酒が飲めない下戸が建てたという倉などないぞ。もちろん酒飲みの上戸の倉も建つはずはないのだけれど。
[鑑賞]これは道歌というよりも、酒飲みの自己弁護の狂歌とでも言うべきであろう。この歌の趣旨は、酒を飲まないからといって、その分を貯めて倉を建てるほど豊かになったという人の話は聞かない。それよりも酒は適度に飲んで楽しんだ方がいいというものだ。上戸が下戸を馬鹿にして言った言葉であるが、これに対して下戸が返した言葉は、「上戸のつぶした蔵はある」というものであった。なお、酒の飲み方については、伊勢貞丈の『安斎随筆』に、「一盃人飲酒、二盃酒飲酒、三盃酒飲人(一盃、人、酒を飲み、二盃、酒、酒を飲み、三盃、酒、人を飲む)」とあり、酒を飲むとき、量が増えるにつれて酔いも増し、やがては酒に飲まれて正体をなくすということが述べられている。酒はほどほどに飲むべきだという戒めである。だが、「わかっちゃいるけどやめられない」という人もいるだろう。小生などはその部類である。

[み]実るほど 稲はうつむく 人もまた 高き身とても 奢らぬぞよき

[解釈]実れば実るほど稲穂は垂れ下がるものだ。人間もまた同じことで、高い地位についたり豊かになったりしてもおごり高ぶらないことが大切だ。
[鑑賞]同趣の内容をいう「実るほど 頭の下がる 稲穂かな」という句もあり、人は学問や徳が深まるにつれて、かえって謙虚になるものだというたとえとして用いられている。中国にも「成熟的稲穂低着頭」という言葉があるがこれも同趣のものである。高い地位がそうした穏やかな人格を形成するとも言われるが、謙虚で腰の低い人生態度が高い地位につながるという考え方もある。一方で、地位が上がるにつれて傲慢になる人がいるが、いずれは憂き目を見ることになるだろう。日本語に謙譲語があるように、日本人は自分が一歩引いて相手を立てるという文化を持っている。日本社会では、相手に直接に敬意を払う尊敬語の使用も必要だが、波風を立てずに自分が引き下がる謙譲の意識はさらに大切であろう。だが、言うべきことを言わずに引き下がるのではなく、相手の気持ちを考えながらも言うべきことは言わなければならない。

[し]白銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 優(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも

[解釈]世の宝という金銀も珠玉もいったい何になろうか。どんなに優れた宝でも、子どもに及ぶほどの宝があろうか、あるはずはないのだ。
[鑑賞]これは道歌ではなく『万葉集』[802]にある山上憶良の「子らを思ふ歌」の反歌である。この歌の前の長歌「瓜食めば 子ども思ほゆ」は割愛するが、子を思う親の気持ちを表したものとして古来よく知られている。憶良が国司という立場から、儒教の徳目としての「父義母慈」に基づいてこの歌を詠み、親としての道徳を国びとに教えようとしたものだという説があるが、それよりも素直に親の子に対する気持ちを述べたものとして受けとめたい。同趣の格言に「子に過ぎたる宝なし」「千の倉より子は宝」などがあるように、いつの世にも子を思う親心は真実のもので、そこには何の打算もない。だが、心すべきは、「子に迷う親心」や「子ゆえの闇」に陥って、子どもを溺愛するあまりに駄目な子どもに育てないようにすることである。「めやも」は奈良時代に用いられた助動詞と助詞の連語で、「~であろうか、いや~ではない」という反語の意を表す。

[ゑ]ゑにかきし 餅は食はれず 世の中は 誠でなければ 間にはあはぬぞ

[解釈]絵に描いた餅はどんなにおいしそうに見えても食べることはできない。世の中では、信義を大切にしなければ何の役にも立つことはできないのだ。
[鑑賞]これは手島堵庵「女児 ねむりさまし」所載の道歌で、『論語』[顔淵]の「自古皆有死、民無信不立(=昔から誰にでも死はある。人民は誠の心を持たなければ自立することはできないのだ)」という言葉が添えられている。孔子はこの一節を含んで、政治をとる上では「軍備・食料・信義」のうち、捨て去る順序として、軍備が最初で次が食料だとし、最も大切なものは信義だと語った。信義がなければ生きる意味がないというのがその主眼であった。信義の大切さについては、同書[為政]でも、「人而無信、不知其可也(=人としての信義がなければ、何ごともうまくやっていくことはできないのだ)」と語っている。「絵に描いた餅」は、「画餅」とも言うが、実際の役に立たなかったり実現する見込みがないことのたとえとして用いられる。絵に描いた餅はどんなにおいしそうに見えても食べられないからである。「誠」は、信義や誠意の意、「間にあはぬ」は、役に立たない意で用いられている。

[ひ]非を是にも 言ひなす人ぞ 恐ろしき 利口は国も 身をもほろぼす

[解釈]間違ったことを正しいことのように言いくるめる人は恐ろしい。口先のうまい人間は国を滅ぼし、その身も滅ぼすことになるだろう。
[鑑賞]『論語』[陽貨]には、「悪利口之覆邦家者(=口先のうまい人間が国家を覆すことを憎む)」とあり、同書[学而]にも、「巧言令色、鮮矣仁(=言葉を巧みにし、外見を飾るのは自分のためであり、他者を愛する気持ちは少ないのである)」とある。さらには、「利口傷身」という格言があり、能弁は身を損なうという意で用いられている。日本にも「烏(からす)を鷺(さぎ)といいくるめる」という言葉があり、理を非に非を理に言い立てること、すなわち、間違いを強引に正当化するたとえとして用いられている。近ごろ、ある政治家が「積極的平和主義」を掲げると語り、また別の政治家が「集団的自衛権」が必要と語ったが、その狙いが海外で米軍とともに武力行使することであり、平和憲法を蹂躙することは明らかである。これこそまさに、「非を是に」「烏を鷺に」言いなすことと同じく恐ろしい詭弁である。詭弁が蔓延しないようにするのが、現代社会に生きる我々のつとめであろう。なお、ここでいう「利口」は、賢いことではなく、口先のうまいこと・抜け目のないことである。

[も]求むれば 求むるままに 月雪も 花も紅葉も 玉も錦も

[解釈]求める心があって努力をすれば、その人の求めるままに、秋の月、冬の雪、春の桜花や秋の紅葉などの美しいものを楽しむこともできるし、宝玉も豪華な衣服も手に入れることができるのだ。
[鑑賞]この道歌は、求める心、すなわち、熱意と、それを手に入れるための努力の大切さを述べているのだろう。だが、これの次元を高めて、『孟子』[告子]にある「求則得之、舎則失之(=求めればこれを得ることができ、捨てておけばそれを失う)」という一節を考えてみよう。孟子は、仁義礼智などの特性は、もともと人間の心の中に備わっているものだから、大切なのはその人が求めるか、求めないかの心構えにかかっていると述べた。また、道歌とは関わりがないが、『新約聖書』[マタイ伝]にも、「求めよさらば与えられん(=ひたすら神に祈れば、神は正しい心と正しい信仰とを与えてくれるだろう。熱心に求めれば必ず得ることができるだろう)」とある。いずれもこの道歌よりも高い次元の内容だが、含蓄のある言葉として受け止めるべきであろう。なお、「求むるに来たり、愛するに光を増す(=人の熱意や愛情が先方の心を動かし、その態度を好転させるものだ)」という格言があるが、これも示唆に富んだ一句と言えるのではなかろうか。

[せ]背に腹は かへぬと言ふも をかしけれ 同じわが身に 陰日なたあり

[解釈]さし迫った困難を回避するためなら、道に外れても仕方がない、などと言うのはおかしなことだ。同じわが身でありながら、人の見ている時と見ていない時とでは行動や態度が変わるではないか。
[鑑賞]これは手島堵庵「女児 ねむりさまし」所収の道歌で、子どもに対するものなのだが、大人に対しても十分な教訓となっている。とくに下の句が重要で、子どもたちばかりでなく大人もまた、人が見ているところでは善行を見せたり善人ぶったりするが、人の見ていないところでは手抜きをしたりよくないことをやったりするものだ。中国前漢時代の『淮南子』[人間訓]にある「有陰徳者、必有陽報、有陰行者、必有昭明(=人知れず徳を積んだ者には、必ずはっきりと現れる幸福な結果が与えられ、人知れず善行を積んだ者には、必ずはっきりと知れ渡る輝やかしい名誉が与えられる)」という一節のように、目立たなくとも人の役に立つ善行を積む「陰徳」「陰行」の人でありたいものだ。

[す]すぐに行く 道をば知らで 人ごとに よこ道行きて 踏み迷ふかな

[解釈]真っ直ぐに行くべき正しい道のことに気がつかないで、どんな人でも横道にそれて人生を踏み間違えることがあるものだなあ。
[解釈]『論語』[微子]に柳下恵の言葉として、「直道而事人、焉往而不三黜(=真っ直ぐな道を貫いて人に仕えるならば、どうしてたびたび免職にならずにいられようか)」とあるものの、普通の人にとっては免職を覚悟してまで正しい道を貫くことは難しいだろう。むしろ人というものは、時には正しい道を歩み、時には横道にそれてしまうものであろう。この道歌は、いつも直道を歩めとも解せるし、時には横道に入り込むのも仕方ないとも解せる。はて、どちらであろうか。手島堵庵ならば前者であろうが、小生の場合は後者であろう。人は時として横道に入ってしまうことがある。その反省に立って元の道に戻ればいいのではなかろうか。さて、これが「いろは歌」連載の最後にあたるので、「すぐに行く道」という言葉から転じた連想で、『伊勢物語』[五十四段]や『古今集』[861]にある在原業平の辞世歌「つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを(=誰でも最後にはたどる死出の旅路とは以前から聞いていたが、それが昨日今日というさし迫った現実になるとは思わなかったなあ)」という歌を引用し、「業平の辞世」ならぬ「今年の辞世」として、これを以て「いろは歌」の結びとする。

 

 

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