南京大虐殺・第七章


 

第 七 章 空 袭 的 死 亡

在此次战争中,因遭轰炸而牺牲的平民的数量,以及悲惨状况是空前的。八月十五日从台湾起飞袭击南京的日本飞机频繁地轰炸了边境地区。此外,中国所有的重要城市全部受到空袭的威胁。一九三七年七,八两个月日本空军在华北的活动与八月十五日以后华中,华南诸城市的轰炸相比,毫无疑问,完全是“※小巫见大巫”微不足道。一九三七年十一月三日,美商在上海的英文报刊《※大美晚报》刊载了下列日本政府御用通讯社同盟的东京电讯足以可见空袭范围的扩大:

小巫见大巫…小者の祈祷師が大物の祈祷師の前に出るとますます小さく見えて太刀打ちできない、というのが原義。日本のたとえに、「月とすっぽん」があるが、この場面にそぐわないので、「小競り合いと大虐殺」と意訳した。

 

章 空 襲 と 死 亡

この度の戦争において、爆撃によって犠牲になった民間人の数、およびその悲惨な状況は空前のものであった。八月十五日に台湾から南京に来襲した日本軍の飛行機は頻繁に辺境地区を爆撃したが、それ以外にも中国が所有する重要な都市の全てが空襲による軍事的な脅威にさらされた。一九三七年七、八の二か月にわたって日本空軍が河北を襲撃したが、それは八月十五日以降の華中・華南の諸都市の爆撃に比べれば、「小競り合いと大虐殺」というほどの違いがあって、全く疑問の余地もないほどのものだった。一九三七年十一月三日、アメリカ企業が経営する上海の英字新聞「イブニング・ポスト」は、日本政府御用の東京電信と同盟する通信社として、空襲の範囲が拡大したことを見てそれを大きく報道した。

 

十一月二日同盟东京电:据海军省报道部发布的消息,自十月二十五日至二十七日我海军飞机共八百五十架,轰炸了上海地区及后方地区。投下二千五百二十六枚共计一百六十四吨重的炸弹。中国方面损失极大。

 

十一月二日の同盟東京電は、海軍省報道部発表の記事をもとに、十月二十五日から二十七日までの間、わが海軍の飛行機は八百五十機を連ねて、上海およびその後方地区を爆撃して、二千五百二十六発、合計百六十四トンの爆弾を投下し、中国側に甚大な被害を与えた、と報じた。

 

据十月十五日英文《大阪每日新闻》的报道:自八月十五日开始轰炸南京至今的两个月内,日本飞机轰炸了以下六十个有“军事价值的城市”列表如下(十月十三日为止):

 十月十五日付けの英字紙「大阪毎日新聞」は、八月十五日に南京を爆撃して以来これまでに二か月が経過し、日本の飛行機が爆撃した「軍事的に価値のある都市」は、以下の通りであると報道した(十月十三日現在)。

山东省(韩庄,枣庄,兖州,济宁)

江苏省(南京,浦口,上海,句容,无锡,江阴,苏州,昆山,嘉定,太仓,松江,宿州,扬州,南通,海州,连云,淮阴,南翔)

浙江省(杭州,宁波,海宁,笕桥,嘉兴,诸暨,金华,衢县,绍兴)

福建省(厦门,龙溪,建瓯)

广东省(广州,石龙,虎门,惠阳,英德,曲江,乐昌,安阳,潮汕,汕头,黄埔)

安徽省(芜湖,广德,安庆,滁县,蚌埠,寿阳)

江西省(南昌,上饶,余江,清江,九江)

湖北省(汉口,武昌,汉阳,孝感)

湖南省(株州)

山東省(韓荘、棗荘、兗州、済寧)

 江蘇省(南京、浦口、上海、句容、無錫、江陰、蘇州、昆山、嘉定、太倉、松江、宿州、揚州、南通、海州、連雲、淮陰、南翔)

 浙江省(杭州、寧波、海寧、筧橋、嘉興、諸曁、金華、衢県、紹興)

 福建省(厦門、龍渓、建甌)

 広東省(広州、石龍、虎門、恵陽、英徳、曲江、楽昌、安陽、潮汕、汕頭、黄浦)

安徽省(蕪湖、広徳、慶安、滁県、蚌埠、寿陽)

江西省(南昌、上、余江、清江、九江)

湖北省(漢口、武昌、漢陽、孝感)

湖南省(株州)

上海《密勒士评论周刊》主笔鲍威尔(J. B. Powell)对日方的军事行动进行了大胆,直接的观察,十一月三十日在该报上发表了以下评论:

 上海の「チャイナ・ウィークリー・レビュー」の主筆のパウエル氏は、日本側の軍事行動が大規模に進行したことを直接に観察し、十一月三十日付けの同紙に以下のような見解を発表した。

 

前述的报纸刊登的六十个城市中,真正有军事价值的极少。如果把上海附近的几十个村镇一起合算,遭轰炸的城市的数字达到上述的两倍。十月二十四日下午,记者目睹了包括单翼双发动机的二十多架日本飞机,各装六发炸弹,轰炸了苏州河北一带农田中大多数,只有一两家人家的小村舍。据一位目睹轰炸的外国人说,从早晨到中午,日本飞机轮番轰炸,投下了二百余发二百磅的大型炸弹。由此推断,下午恐怕还有投下一百五十发大型炸弹。这样,在这个狭小的地带竟然投下了三百五十发炸弹。也许今天是日本飞行员的野外实弹轰炸的演习日?如果是公开演习,也许他们还要表演各种各样的飞行技巧吧?一队由三架或四架编组,从高空急速俯冲下来,以村舍为目标,降下了巨型炸弹的雨。这些村舍是用竹和泥建造的,加上屋顶的瓦至多价值四,五十美元。幸运的是这些村舍的居民已经逃走,他们的逃难经验已经相当熟练。尽管如此还是时常出现伤亡者。往往是老年妇女逃进或被送进租界里来。苏州河的某处遭到五架日本飞机的轰炸,几名老百姓被活理在废墟下。

「前述の「大阪毎日新聞」が掲載した六十の都市のうち、真に軍事的な価値を有するものは極めて少なかった。かりに上海付近の数十箇所の町村を合算したならば、爆撃に遭った地域の数字はその二倍に達するであろう。十二月二十四日午後、記者は単葉双発機をふくむ二十機にも及ぶ日本の飛行機がそれぞれ六発の爆弾を装備し、蘇州の河北一帯の農地全体でわずかに一、二軒しか存在しない小さな村を爆撃したのを目撃した。爆撃を目撃したある外国人の話では、日本の飛行機が早朝から昼間にかけて交替しながら爆撃して、二百発あまりで二百トンほどの大型爆弾を投下したそうだ。このことから推論すると、恐らく午後にも百五十発の大型爆弾を投下したことだろう。こともあろうに、このような狭い地域に三百五十発もの爆弾を投下したとすれば、もしかして、今日は日本軍の飛行士たちの野外実弾爆撃の訓練日でもあったのだろうか?もしもこれが公開演習であったならば、彼らは各種さまざまな飛行技術の披露でもおこなったかも知れないのだが…。一隊は三機あるいは四機編成で、高空から急降下して、村の家屋を目標に大型爆弾の雨を降らせたのである。この村の建物は竹と泥とで建造されたもので、屋根の瓦を加えてもたかだか四、五十ドルの価値しかないものだった。幸運にもこの村の住人たちはすでに逃走していた。彼らの避難の経験は相当熟練していたのである。しかしそれでも、しばしば死傷者が出たのであった。それはほとんど老年の女性で租界へ逃げて行こうとしたか、あるいは租界から送られて来た人たちであった。蘇州河の某所では、五機の日本の飛行機による爆撃に遭遇して、数名の年老いた百姓が廃墟の下で生き埋めになった。

 

我们目睹了※沪西的庇亚士路和卢别根路拐角处的弹穴,知道了日军炸弹的威力。沪西的轰炸是有一定军事意义的。中国军队在苏州河畔的转弯处,用沙袋子修筑了碉堡,附近挖了战壕。投在这一带的六枚炸弹炸出了直径十二至十八英尺,深六英尺的弹坑。但是,转弯处用土袋子修筑的碉堡却完好无缺。炸毁的战壕很快被修复,也没有伤员。苏州河畔的村舍经以上几次轰炸蒙受了巨大损失,至今还是空空的,只剩下几位老人。但是许多农民和佃户仍然整天在田里辛苦地耕种着,即使炸弹在相隔一百码的地方爆炸,他们也不间断工作。正是由于这些农民和佃户的辛勤劳动,才防止了上海饥饿恐慌的发生。上海市民,无论是中国人还是外国人都必须感谢他们。每天早晨,担着蔬菜的乡下人沿着租界的路,鱼贯而行,络绎不绝,这正是中国儿女们刻苦,耐劳的真实写照。

沪西…上海の西部。

 

我々は滬西のピアス路とルビコン路の曲がり角の弾穴が日本軍の爆弾の威力を示していたことに気がついた。滬西の爆撃は一定の軍事的な意味を有していたが、それは中国軍が蘇州河畔の湾曲部に砂袋を用いたトーチカを築き、あたり一帯に塹壕も掘っていたからである。その一帯に落ちた六発の爆弾は、直径十二フィートから十八フィート、深さ六フィートから八フィートの穴を開けていた。しかし、湾曲部の土嚢を用いて造られたトーチカは完全無欠であった。爆撃で壊れた塹壕も修復され、死傷者も出なかった。蘇州河畔にある村の建物は、数次にわたる爆撃で甚大な損害を受け、今になってはほとんどが空き家になっており、わずかに数人の老人たちが残っているだけであった。しかし、多くの農民と小作人たちは、苦労しながらも相変わらず毎日畑に出て耕作を続けていた。たとえ爆弾が百ヤードしか離れていない場所で爆発しても、彼らは作業をやめることはなかった。まさしくこれらの農民や小作人たちの精魂こめた労働が上海の飢餓パニックの発生を防止したのだった。上海市民は、もちろん中国人であろうと、外国人であろうと必ず彼らに感謝しなければならないのである。毎日早朝に、野菜をかついだ農村の人々が租界の道に沿って次々に絶え間なくやって来たが、このことこそ中国の女性たちの刻苦と耐労の真実を表しているのである。

 

上海各报就有关死亡和破坏的各种新闻大标题概括地说出了每一起惨剧的内容。这已经是每天司空见惯的事了。例如象‘日军飞机轰炸松江,炸死二百人,炸伤四百人,其中四十人被活理在防空壕里’诸如此类。

 上海の各紙は、死亡と破壊に関する各種ニュースの見出しで、その都度まとめて惨劇の内容を概括的に載せていたが、すでにそれが毎日のことで見慣れて珍しくなくなってしまった。一例を挙げれば、「日本軍の飛行機が松江を爆撃、死者二百人、負傷者四百人、そのうちの四十人は防空壕の中で生き埋め」というのがその類いであった。

 

中国军队于十月二十八日(周三)下午开始从闸北撤退。这正好是日军飞行员屠杀民众的好机会。从闸北撤退的中国军队在夜间偷偷地走过了苏州河上的铁桥,免遭了飞机的轰炸。翌日早晨,成千上万的平民(大多数是妇女儿童)挤满道旁,争先恐后地走过这单轨的铁桥。这正好引来了日军飞机,给了他们一个屠杀的机会。一架日军飞机贴着水面飞行,向惊恐万分的难民们扫射。第一次扫射就死伤各十二人,其中有妇女和儿童。沿租界的路上也发生了同样的惨剧。

 

中国軍隊は十二月二十八日(水)の午後に閘北からの撤退を開始した。これはまさに日本軍の飛行士に市民を虐殺する絶好の機会を与えたに等しい。閘北から撤退した中国軍は、夜間ひそかに蘇州河に架かる鉄橋を渡ったために飛行機による爆撃を受けなかった。翌日早朝、おびただしい数の市民たち(大多数は女性と子ども)が道路いっぱいにひしめきあい、先を争って単軌道の鉄橋を渡っていた。これはまさに日本軍の飛行機を招き寄せ、彼らに虐殺の機会を与えるものだった。一機の日本軍機が水面近くを飛行しながら、恐怖におびえる難民たちに機銃掃射を加えた。一回の掃射で死傷者が十二人に達したが、その中には女性と子どもたちがいた。租界に沿った路上でも同様の惨劇が発生した。

 

日军当局和日本外交当局屡次否认屠杀平民,声明日军飞机轰炸的目标仅限于军事设施,认为‘中国方面的虚伪宣传’的报道,夸大了日军空军活动。这个声明难道是正确的码?日军飞机轰炸平民真的是军事行动中碰到的偶然事件码?我们不能明确回答这个问题。但是,以下的新闻报道及目击者的言论,可以使读者得出结论。

 日本軍当局と外交当局は、市民の虐殺を何度も否認し、日本軍機の爆撃目標は軍事施設に限られているとし、かつ、それは「中国側の虚偽宣伝」で、日本空軍の活動を誇大化していると表明した。この声明はまさか正確なものではないだろう。日本軍の飛行機が一般市民を爆撃したのは、本当に軍事行動中に偶然に起こった事件だったのだろうか?我々にはこの問題に明確に回答することは出来ない。しかし、以下のニュース報道や目撃者の談話によって読者はその結論を得ることが出来るだろう。

 

上海及近郊到处是日军飞机攻击的目标。一九三七年八月二十八日,日军飞机攻击了※沪杭铁路的上海南站。当时南站挤满了逃往内地的难民。八月二十九日上海英商《※字林西报》刊载新闻如下:

沪杭铁路的上海南站滬杭鉄道の上海南駅。P83に前出。

字林西报…イギリス人が所有して上海で編集した日刊の英字新聞。「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」。

 

上海およびその近郊の至る所が日本軍の飛行機の攻撃目標となった。一九三七年八月二十八日、日本軍の飛行機が滬杭鉄道の上海南駅を爆撃した。当時の南駅は内陸部へ逃げる難民で混雑していた。八月二十九日、上海の英字新聞「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」は下記のようなニュースを報道した。

 

昨天,日军飞机攻击了人口稠密的南市,轰炸了车站一带。上海平民的死亡人数有了相当大的增加。据最保守的推断,死伤达二百人以上,大部分是难民。该数字是由南市各医院及英法租界当局昨夜调查的结果,难免尚不完全。

 「昨日、日本軍の飛行機が人口が密集する南市を攻撃し、停車場一帯を爆撃したので、上海市民の死亡人数は相当大きく増加した。最も低く見積もっても、死傷者は二百人以上に達し、その大部分が難民であった。その数字は南市の各病院と英仏の租界当局が昨夜調査した結果であって、まだ全部ではない可能性がある。

 

下午一时四十五分,十二架日军飞机从南站上空投下八枚炸弹。南站拥挤着一千多名难民,其中大多数是妇女和儿童,故死伤甚惨。遭轰炸的地点是南站北侧的国货路,三观堂街和陆家浜一带。火车站附近有四枚炸弹爆炸,日军飞机飞走后,浓烟冲天,站台上和铁轨上躺着几具烧焦了难以辨认的尸体,狼藉不堪。

午後一時四十五分、十二機の日本軍飛行機が南駅上空から八発の爆弾を投下した。南駅には一千名を超える難民が押しかけ、その大多数が女性と子どもであったので、その死傷のさまは極めて悲惨なものであった。 爆撃に遭った場所は南駅の北側の国貨路、三観堂街と陸家浜の一帯であった。駅の周辺で四発の爆弾が爆弾が爆発したので、日本軍の飛行機が飛び去った後でも、濃い煙が天高く登り、プラットホームやレールの上には何体もの黒焦げになって見分けもつかない死体が転がっており、その無残な様子は堪え難いものだった。

 

一枚炸弹在车站旁爆炸,炸毁了水塔,许多难民被弹片炸死或被崩毁的碎物压在下面。当幸免未死的人们逃出的时候,第二枚炸弹又落了下来,炸飞了天桥,炸毁了铁轨。附近被鲜血染红,余烬满目。接着炸弹一个个地爆炸,周围的道陷入恐怖之中。

 第一弾が駅の傍で爆発し給水塔を破壊したので、多くの難民たちが被弾して即死したり、壊れて落ちてきた物体の下敷きになったりした。第二弾が落下してきた時には、幸いなことに死を免れた人々が逃げ出した後だったので、爆弾は陸橋を吹き飛ばし、レールを破壊しただけであった。だが、付近は鮮血で染まり、燃えかすはあたり一面に広がっていた。これに続いて爆弾が一つまた一つと爆発し、周囲の道路にいる人々を恐怖のるつぼに陥れたのだった。

 

两周前上海方面的战斗爆发以来,南站挤满了准备乘车赴内地避难的难民。昨天炸死的难民中有三天前就去等待乘车的。当日军飞机在南站上空盘旋时,难民们有的在买票,有的在候车,售票处和站台上黑压压地挤满了人。遭轰炸后售票处的栏杆被鲜血染红,周围横躺着累累的死尸。

 二週間前に、上海方面で戦闘が始まって以来、南駅は内陸部へ向かう汽車に乗る準備をした難民たちでいっぱいだった。昨日爆死した難民の中には三日前から乗車を待っていた者もいた。当日日本軍の飛行機が南駅の上空を旋回していた時も、難民たちは切符を買ったり、乗車を待ったりする人々が切符売り場やプラットホームに黒山のようにいっぱいにひしめいていた。爆撃に遭った後だったので、切符売り場の柵は鮮血で真っ赤に染まり、周囲には死体が累々と横たわっていた。

 

一部分难民想逃到总办公处去。由于人数众多,狭窄的通道无法通过,酿成许多人的惨死。总办公处的建筑损失甚少,只有玻璃被震碎。

 一部分の難民は総合事務所に逃げようとしたが、人数があまりにも多く通路が狭かったので、多くの人々が惨死することになった。総合事務所の建物自体の損害はわずかで、窓ガラスが砕で散る程度だった。

 

大同大学的几十位学生挺身而出,赶到车站搞救护工作。这种勇敢是应该嘉奖的。他们最早赶到现场清理污物,救护伤员,把伤员送上汽车。一部分伤员送到了南市各医院,大部分送到了共同租界。列斯达医院收容了一百多名妇女和儿童。手术室里,夜间也在忙碌着,没有休息时间。

 大同大学の数十名の学生たちは、停車場へ駆けつけ身を挺して救護の仕事に当たった。その勇敢さは賞賛と激励に値するものであった。彼らは最も早く現場に駆けつけ汚物をきちんと処理し、負傷者を救護した上で自動車で送り届けた。一部の負傷者は南市の各病院へ送られたが、大部分は共同租界に送り届けられた。レスター病院に収容された百人あまりは女性と子どもたちであった。手術室の中は、夜間でも忙しく休息する時間はなかった。

 

本报记者下午采访该医院时,病房里增设了临时床位。中国救护车送来从已经断了气的一位母亲怀里拾起的负重伤的婴儿。还送来两个失去父母的十三岁左右的孩子。

 本紙の記者が午後にレスター病院を訪れた時、病室内には臨時のベッドが増設されていた。中国の救急車が運んできた一人の母親はすでにこと切れていたが、その懐から引き出した赤ん坊は重傷を負っていた。さらに、十三歳前後の子どもが送られて来たがその両親はともに亡くなっていた。

 

该医院死亡了两名男人,两名女人及两个儿童。宝隆医院也死亡了数人。死里逃生的难民被慈善团体的车送到租界,因某种原因,南站的修复工作封锁着进行。

 その病院では、二人の男性と二人の女性およびその二人の子どもが亡くなった。宝隆病院でも数人が死亡した。死の淵から生き延びた難民は、慈善団体の車で租界に送り届けられた。こうした事情も原因となって、南駅は修復工事のために封鎖された。

 

中国方面的军事代表在昨天下午新闻会议上向外国记者猛烈地抨击了日军飞机轰炸南市的行为。严历驳斥日方所称‘中国利用南站运输军队’,故加以轰炸之说。这位中国军事代表声明:‘不仅是昨天,近期来南市根本不存在一兵一卒。南市是人口稠密区,根本没有驻扎中国军队和军事设施。’日方宣称攻击的目的是,‘扰乱中国的军事要地’纯属荒诞无稽该代表接着讲到:‘日方屠杀中国平民的动机何在,非常难以理解。是否为了威胁我们中国民众?或是为虹口一带死去的日本人报仇?不得而知。而且日方竟从未发出过轰炸的警告’

 

中国側の軍事代表は、昨日午後の記者会見で外国人記者たちに向けて、「中国側が南駅を利用して軍隊を輸送した」ので爆撃したと主張する日本側に対して、日本軍飛行機による南市の爆撃行為を猛烈に非難したのだった。中国側のその軍事代表は、「昨日だけでなく、最近の南市には全く一兵卒も存在しない。南市は人口密集地で、中国軍隊が駐屯する場所や軍事施設など皆無である」という声明を発表した。日本側が攻撃の目的を、「中国の軍事的な要衝を攪乱するためだ」宣言したことは、まさしく荒唐無稽のことである。同代表はそれに続けて、「日本側が中国人民を虐殺した動機がどこにあるのか、はなはだ理解に苦しむものである。我々中国人民を威嚇するためなのか、それとも虹口一帯で死亡した日本人の仇を討つためなのか、知るよしもない。さらに言えば、日本側は爆撃する警告も発していなかったのである」と語った。

 

某外国记者在新闻发布会上证实了该代表的讲话,他视察了南市的街道,没见到一个中国士兵。会上关于南市市民撤退问题,该代表讲:“现在铁路经常遭日军飞机轰炸,旅客也常遭轰炸或扫射。这种状况下,市民撤退非常困难。”

 

ある外国人記者もその記者会見の席上で、同代表の談話の裏付けとして、南市の道路を見回ったが、一人として中国兵を見なかったと証言した。なお、同代表は南市からの市民の撤退問題に関して、「現在は鉄道がしばしば日本軍の飛行機の爆撃に遭っており、乗客はいつも爆撃や機銃掃射を受けている。こうした状況では市民の撤退は非常に困難である」とも語った。

 

从共同租界的中心乘车出发,用不到一个小时可以到达※沪西的卢别根镇。这个小镇蒙受了多次轰炸。一九三七年十月八日的《字林西报》登载了以下记录:

 共同租界の中心から車で出発すれば一時間足らずで滬西のルビコン町に到着する。この小さな町はたび重なる爆撃に遭っていた。一九三七年十月八日の「デイリー・ニュース」は以下の記事を掲載した。

 

星期三晨,日军轰炸机袭击卢别根饭店过去不到半里的卢别根镇。有十七名平民惨死。其中多数是儿童。据说那里并没有驻扎中国军队,中国人,外国人都不明白轰炸的原因。

 それは、「水曜日早朝、日本軍の爆撃機がルビコン飯店から半里足らずのルビコン町を爆撃機で襲撃した。十七名の市民が惨殺されたが、その中の多くは子どもであった。聞いた話では、そこには中国軍が駐屯していなかったので、中国人にも外国人にも爆撃の理由がわからなかったそうだ。

 

据该镇居民说:上午十时左右,日军九架飞机突然出现在上空,投下若干炸弹后离开。接着又返回用机关炮低空扫射。

 その町の住民の話によれば、午前十時前後に、日本軍の九機の飛行機が突然上空に現れ、若干の爆弾を投下して去ったが、すぐさま引き返してきて低空で機関砲掃射をした。

 

第一次空袭有二,三十人负伤,有一老年妇女,一年轻妇女,两个女孩,一个男孩死亡。两人去向不明。第一次空袭刚刚结束,十架飞机进行了第二次空袭。先是在空中盘旋后向西飞去。径直飞回时投下十枚炸弹。又有十人死亡,三十人负伤。数间房屋遭毁,一枚炸弹落在某氏住宅附近,宅内九口人受轻伤。

 

第一次の空襲では、二、三十人が負傷し、老婆と若い女性、二人の女の子と一人の男の子が死亡し、二人が行方不明になった。第一次の空襲がようやく終わると、十機の飛行機による第二次の空襲が始まった。飛行機は空中を旋回したかと思うと西に向いて飛び去った。その後、一気に上昇して戻ってくると十発の爆弾を投下した。そこでまた十人が死亡し三十人が負傷した。数軒の住宅が破壊され、家の中にいた九人が軽傷を負った」というものだった。

 

从这次攻击平民以来,日本轰炸机时时地伴随着战斗机,频频地用机关炮扫射屠杀平民。上海居民也目击了许多同样的袭击事件。当时上海的英文报纸的读者信箱栏里登满了目击到这种惨状的外国人提出的抗议。美国亚洲舰队司令耶纳尔将军(Admiral Yarnell)声明要追究这种暴行的严重的责任。十一月十二日他在上海英国皇家空军协会的宴席上发表演说。十一月十三日《字林西报》登载了这个内容。

 

このたびの市民攻撃以来、日本の爆撃機は時には戦闘機を伴ってやってきては、頻繁に機関砲を用いて市民を虐殺した。上海の住民もまた多くの同様な襲撃事件を目撃している。当時の上海の英字新聞の読者欄は、この種の惨状を目撃した外国人が投稿した抗議でいっぱいであった。アメリカのアジア艦隊司令のヤーネル(Admiral Harry E. Yarnell)将軍は、この種の暴行に対して厳しく責任を追及した。十一月十二日、彼は上海のイギリス皇室空軍協会の宴席で演説を行った。十一月十三日の「デイリー・ニュース」は、その内容を掲載した。

 

我谨对蒙受此次战争的上海及附近的破坏,它的范围之广大,它的状况之悲惨表示非常痛心。不知道人类从什么时代才能开始懂得飞机正当的用途。战争与其它活动同样,必须加以遵守规律。交战国双方,任意地破坏人民的生命财产,使得上海附近的居民陷入了绝境,这种情况作为人是不能忍耐的。必须遵守战争规律,必须竭力避免盲目的轰炸。破坏人民的财产是谋毫无意的。当今各国应该尽早地了解飞机除作为毁灭一切的利器外,还有它更大更多的用途。

 

「このたびの戦争において、上海及びその周辺が被った被害は、その範囲の大きさと状況の悲惨さに私は非常に心を痛めている。私は人類がいつの時代になったら飛行機の正当な用途がわかるようになるのかは知らない。戦争はその他の活動と同様に、必ずその規律を順守しなければならない。交戦する両国とも、勝手に人民の生命や財産奪ってはならない。上海付近の住民を窮地に追い込んではならないし、この種の状況は人として忍耐できるものではない。必ず戦争の規律を守らなければならないし、無差別な爆撃は避けなければならない。人々の財産を破壊することは何らの意義も持ってはいない。今や各国とも、飛行機が破壊をもたらす武器としてではなく、さらに大きな用途があることを一刻も早く理解しなければならない」と謹んで述べるものである。

 

松江是一个安静的城市,约十万人口,水陆交通方便,距离上海三十英里,是一个半工业地区。象松江这种中等的城市,不知有多少次遭遇日本飞机的轰炸了。一九三七年九月九日,《字林西报》就日军飞机轰炸松江车站难民车的情况报道如下:

 松江は約十万の人口を有する静かな都市であり、上海から三十マイル離れた水陸の交通が便利な半工業地区である。松江のような中都市が日本の飛行機からどの程度の爆撃を受けたかはわからないが、一九三七年九月九日の「デイリー・ニュース」は、日本軍の飛行機が松江駅の難民が乗車した列車を爆撃した状況を以下のように報道した。

 

昨天下午十二时二十分,从上海赴嘉兴的难民列车在松江受到日本飞机的袭击。客车五辆全毁,死亡三百人,其中大部分是妇女和儿童。负伤者为数更多。车上未乘坐一名中国士兵。上海难民又遭受一次浩劫。

 

「昨日の午後十二時二十分、上海から嘉興に向かう難民列車は、松江で日本の飛行機の襲撃を受け、客車五両が全壊し、三百人が死亡した。しかも、その大部分は女性と子どもたちであった。負傷者の数はさらに多かった。列車にはただ一人の中国兵も乗車していなかった。上海の難民がまたもやたいへんな災難を被ったのである。

 

不知道参与轰炸中国平民的日本飞机究竟有多少架。车站内遭到了极多的炸弹轰击,除五辆客车外,天桥和冰塔也遭破坏。

 中国の一般市民を爆撃した日本の飛行機がいったい何機であったかは知るよしもないが、駅の構内で爆発した爆弾の数は極めて多く、五両の客車以外にも陸橋と給水塔が破壊された。

 

据铁路当局和政府方面的报道,被炸后的站内状况非常悲惨,到处是断臂残肢,血污满地。铁路警察和铁路工作人员忙于往医院送伤员,另外临时组织了埋葬队负责处理尸体。

鉄道当局および政府側の報告によると、爆撃された後の駅構内の状況は極めて悲惨で、至る所にちぎれた腕や脚が散乱し一面が血にまみれていた。鉄道警察員と鉄道員は負傷者の病院搬入に忙殺されたが、それ以外にも臨時の埋葬隊が組織され、死体の処理に責任を負った。

 

上海市市长俞鸿钧接到报告后声明:“日军完全无视人类的同情,这是一个屠杀后方中国平民的证据”“在松江被轰炸的列车上的乘客是从战区逃往内地避难的难民,这是毫无争议的事实,既然列车是向嘉兴行驶的没有任何理由辩解为,是运输部队增援上海。日军飞机的轰炸是故意的。绝对允许牵强附会的辩解。

 

上海市長の兪鴻鈞は、爆撃の報告を受けて、「日本軍は完全に人類的な同情を無視しており、これこそが中国の一般市民を虐殺した証拠だ」、「松江で爆撃された列車の乗客は、戦地から逃げて内陸部へ避難する難民たちで、これは議論の余地のない事実であり。列車がすでに嘉興に向かって走行しているからには、これが上海への増援部隊の輸送であったから攻撃した、などという如何なる理由も弁明も成立しない。日本の飛行機の爆撃は故意によるもので、絶対に牽強付会的な弁解も許すことは出来ない」という声明を発表した。

 

以上的各节叙述日军飞机袭击村镇,小城市的状况是不完全的。从整体上看,这些轰炸的性质是极其残酷的,但和轰炸南京,广州,汉口等大城市的事件相比较,也许不及后者那样猛烈。这些大城市的轰炸在全世界的报纸上都占有重要位置。自一九三一年八月十五日至一九三七年十二月十三日即日军完全占领中国首都的这个期间,南京经常处在空袭的威胁下。十二月十八日路透社的东京电讯声明:“据此间军部今日发表公报称,从战争开始至南京陷落,日军海军的飞机前后五十次轰击了中国密集部队及军事设施,投下一百六十吨炸弹。参加轰炸南京的飞机有八百架以上。”十二日出版物《密勒士评论周报》概述了一周内的日军飞机轰炸南京的状况。其内容基本上根据透社的南京电讯。以下是抄录的原文:

 以上の各節で述べた日本軍飛行機による町村や小都市の爆撃の説明状況は、まだまだ十分なものとは言えない。全体的に見れば、これらの爆撃の特徴としては極めて残酷なものではあったが、南京、広州、漢口などの大都市の爆撃に比べれば、そちらの方が酷烈なものであったと言えるだろう。このような大都市の爆撃は、全世界の新聞紙上で記事の重要な位置を占めたのだった。一九三一年八月十五日から一九三七年十二月十三日までの、日本軍が中国の首都を完全に占領していた期間の南京は常に空襲の脅威にさらされていた。十二月十八日、ロイター社は東京電として、「当地の日本軍部が発表した広報によれば、戦争勃発から南京陥落まで、日本海軍の飛行機は前後五十回ほど中国軍の密集部隊および軍事施設を爆撃し、百六十トンの爆弾を投下した。南京の爆撃に参加した飛行機は八百機以上である」と発表した。十二日出版の「チャイナ・ウィークリー・レビュー」は、日本軍飛行機による南京爆撃の一週間の状況を該述している。その内容のほとんどはロイター社の南京電に基づいているが、以下のその原文を抄録する。

 

英,美,法向日本提出抗议,日方全然无视。二十九架日军飞机又于九月二十五日下午空袭了中国首都。日军飞机特别注视了城南一带的在南京最繁华,人口稠密的地区。

 「イギリス・アメリカ・フランスは、日本に対する抗議を提出したが、日本側はこれを完全に無視し、九月二十五日の午後から二十九機の日本軍飛行機が再び中国の首都南京を爆撃した。日本軍の飛行機は、南京で最も繁華な人口密集地区である城南一帯に注目してこれに爆撃を加えた。

 

在日军飞机第二次空袭南京时,中央通讯社的总社办事处遭到破坏,有五名职员受重伤。中央通讯社尽快地进行了善后处理,现在又开始了正常的业务工作。该社在土街口,距银行街很近,共有三枚炸弹爆炸。该地是人口稠密区,而且没有重要军事建筑物。中央通讯社是文化机关之一。日方是蓄意加以破坏,以消灭中国最大的新闻机关。

 日本軍の飛行機が南京に二度目の空襲を加えた時、中央通信社の総事務所が破壊され、五名の職員が重傷を負った。中央通信社は素早く善後処置を取ったので、現在は再び正常な業務を行っている。同社は土街口にあり、銀行街の間近にあったので、三発の爆弾の爆発を共有することとなった。同地域は人口密集地区で、しかも、重要な軍事施設はなかった。中央通信社は文化機関の一つなのに、日本軍は故意にこれを破壊し、中国最大の報道機関を消滅させようとしたのである。

 

九月二十五日空袭南京时,造成六百名市民的伤亡。上午九时至下午四时半,日军飞机前后五次侵入南京上空,投下五百枚炸弹。下午的空袭以中央医院和卫生部为目标,投下十五枚炸弹,但未能击中。炸弹炸出深二十英尺,直径四十五英尺的弹坑。医生的宿舍被气浪冲倒,厨房被毁,手术室也遭到损坏。

 九月二十五日の南京空襲の時、市民の死傷者は六百名にも及んだ。午前九時から午後四時半まで、日本軍の飛行機は五回にわたって南京の上空に侵入し、五百発の爆弾を投下した。午後の空襲では中央病院と衛生部を目標として、十五発の爆弾を投下したが命中することはなかった。だが、爆弾は深さ二十フィートの、直径四十五フィートの穴を開けた。医師の宿舎は、爆風で倒壊し、厨房も壊れ、手術室にも損害があった。

 

依据中央社的电讯,日军飞机轰炸中央医院绝不是误认目标。屋顶上用油漆写着大红十字符号和中央医院四个大字。

 中央社の電信によれば、日本軍の飛行機による中央病院の爆撃は、決して目標を誤認したものではなかった。屋上に大きな赤十字のマークと中央病院という四文字をペンキで描いていたからである。

 

就卫生问题,卫生部和联合国合作建立了中央护士学校,一部分靠洛※克菲勒基金委员会赞助。卫生部的礼堂以及中央护士学校都遭到破坏,有两位管理人员死亡。

  • 克菲勒基金…ロックフェラー基金。アメリカの大石油資産家ロックフェラーが設立した基金で、医療や公衆衛生、医学教育や研究に対する援助を重点的におこなった。

 

衛生問題については、衛生部と連合国が共同で設立した中央看護学校は、その一部をロックフェラー基金委員会の援助を受けているたが、衛生部の講堂および中央看護学校のすべてが破壊され、二名の管理人が死亡した。

 

在轰炸中遭破坏的有首都电灯公司,首都自来水公司,中央广播局,政府卫生局,广东医院以及哈瓦斯,海通和合众三家通讯社的办事处。

 爆撃中に破壊されたものは、首都電灯会社、首都水道会社、中央放送局、政府衛生局、広東病院ならびに、ハバス(Havas News Agency)、AP(Transocean News Agency)、UP(United Press Agency)などの親密な関係にある通信三社の事務所などであった。

 

日本飞机用一百五十磅的大型炸弹轰炸了居民区,中山路与山西路拐角处炸出了很大的弹坑。二枚炸弹落在宁夏路拐角处的小丘上,附近的住宅受到了强烈震动。窗上的玻璃被震破,灯泡也被震落。

 

日本飛行機は、百五十ポンドの大型爆弾で居住区を爆撃し、中山路と山西路の曲がり角に非常に大きな爆弾の穴を開けた。二発の爆弾が寧夏路の曲がり角の小山の上に落ち、付近の住宅は激しく震動し、窓ガラスも割れて電球も砕け散った。

 

日本飞机袭击了内政部和警备总司令部,但准确,炸毁了一间当铺。下午,中国银行七间房屋也同样遭破坏。人们都躲在防空壕内,没有伤亡。电报局不用说也是轰击的目标之一,但几枚炸弹落在附近,没有一发命中。

 日本飛行機は、内政部と警備総司令部を爆撃したが、正確さに欠けていたので、一軒の質屋を壊しただけであった。午後に、中国銀行の七つの部屋が爆撃されて、同様の破壊にあったが、人々はみな防空壕に避難していたので死傷者はなかった。電報局も言うまでもなく爆撃目標の一つであったが、何発かの爆弾が近くで爆発したものの、一発も命中しなかった。

 

九月二十五日日本飞机轰炸南京时,有一枚炸弹落在高门楼的法国领事馆院内。九月二十七日轰炸下关时,有五枚炸弹落在停泊于三叉河边的法国炮舰只相距二百米的地方。

 九月二十五日、日本の飛行機が南京を爆撃した時に、その一発が高い表門を持つフランス領事館の庭に落ちた。九月二十七日、下関の爆撃時に、五発の爆弾が三叉河に停泊中のフランス砲艦のわずか二百メートルの場所に落ちた。

 

在此之前,九月二十二日日军飞机两次空袭南京。第一次飞机空袭从上午十时三十分到中午出动飞机五十架,第二次是十五架飞机进行短时间轰炸后离去。

 これより前の九月二十二日に、日本軍の飛行機が二度にわたって南京を空襲した。第一次の空襲は五十機で午前十時三十分から正午までで、第二次の空襲は十五機で短時間の爆撃で退去した。

 

城南区及新住宅区(集中了大多数的美,意,德等各国大使馆及住宅三百多处)平均每天遭到两,三枚炸弹轰炸。据路透社报道,在第二次空袭时,下关难民收容所中弹,死者至少百人以上,事后前往视察,但见残骸遍地,芦席棚火焰熊熊,直冲云霄······

 城南区および新住宅区(アメリカ、イタリア、ドイツなどの各国大使館および三百を超える外国人住宅はほとんどここに集中していた)では、毎日平均二、三発の爆弾が爆発した。ロイター社の報道によると、第二次の空襲時に、下関難民収容所が被弾して、死者は少なくとも三百人以上に達し、事前事後の観察によると、残骸が広く散乱し、藁葺きの家々が燃えさかって、果てしなく燃え広がっていた……。

 

不到一个小时,又看到十架飞机飞来,从东北方飞到浦口上空时,排成圆形,轮番轰炸津浦铁路后又向东北方飞去。

 一時間もしないうちに、十機の飛行機が東北の方から飛んで来るのが見え、浦口の上空に達した時には、円形の隊列を組んで交代しながら津浦鉄道を爆撃し、その後で東方方面に飛び去った。

 

据法国领事馆消息,九月二十五日四枚五百磅的大炸弹落在离该领事馆不到一百码的地方,以各国使馆而言,这要算最危险的一次了”

 フランス領事館の報告によれば、九月二十五日に四発の五百ポンドもの大きな爆弾が領事館から百ヤードも離れていない場所に落とされたので、各国公使館のうちで最も危険な目に遭ったそうである。

 

广州被认为是华南的‘上海’。地处广东南部三角洲的顶端,人口一百万到一百五十万。一九三七年七月二十三日,广州遭到猛烈的空袭。九月二十四日的上海《字林西报》登载了路透社的以下电讯:

広州は華南の上海と知られ、広東南部の三角州の頂点に位置し、人口は百万から百五十万に達していた。一九三七年七月二十三日、広州は猛烈な空襲に遭遇した。九月二十四日の上海「デイリー・ニュース」は、ロイター社の以下の電文を掲載した。

 

路透社记者今天赴被炸现场采访,东山附近的贫民住宅区基本上被炸平。有些地方死尸遍地,好似贴蝇纸上的苍蝇,断肢残骸,狼藉不堪,几百名妇女悲痛欲绝地在废墟中到处走,寻找亲人的尸体。数千难民彷徨在街头,沮丧惊悸,由于昨天和今天的恐怖,使得他们神经大为错乱。

 本日ロイター社の記者が爆撃された現場を視察した。東山付近の貧民住宅区のほとんどが爆撃で粉砕されていた。ある場所は死体が至る所に置かれて、あたかも蠅取り紙に掛かった蠅のようであった。腕や脚のない遺体のむごたらしさは見るに堪えないものであった。何百名もの女性たちが悲嘆に暮れて、廃墟の中を歩き回っては肉親の死体を探していた。数千もの難民が街頭を徘徊するが、昨日と今日の恐怖によって神経が錯乱して、意気消沈しつつも胸の動機が収まらないのであった。

 

做为确切的统计尚需数日或数周。本社估计死伤者不下数千。仅今天空袭的损失已超过上海南站的悲剧。此次轰炸,政府机关和军事机关全然无恙。因此这里的外国人观察家对于日本飞机轰炸的目标究竟是哪里,都有莫名其妙之感。

 正確な統計には、なお数日から数週間を要するが、本社は、死傷者が数千人を下らないと推測している。今日の空襲の損害だけでも、上海の南駅の惨劇を越えている。今回の爆撃では、政府機関と軍事機関は完全に無傷であった。それゆえ、ここの外国人たちはそれを見て、日本の飛行機の爆撃目標がつまりどこにあったのかと、みな名状しがたい奇妙な感覚を持ったのであった。

 

日军飞机的炸弹命中的大部分是茅舍鳞次栉比的贫民区,屠杀了居民,毁坏了房屋。门口坐着的老年妇女炸死后仍是原来的姿势。一位看上去象是上流社会的男子,掀起芦席,指着被炸碎了的尸体黯然地说,这就是他的妻子。

 日本の飛行機が投下した爆弾は、その大部分が茅葺きで魚の鱗や櫛の歯のような状態に立ち並ぶ貧民街に命中し、その住民と家屋を破壊したのである。門の入り口にすわっていた老婆は、爆死後もそのままの姿勢で座っていた。上流社会に属すると思われる一人の男性がむしろをまくっては粉砕された死体を指さして、これが自分の妻であると暗然とした表情で語った。

 

东山附近的小学校全部被烧毁,幸运的是假期校内学生少,免除了一场悲剧。居民们喘息未定,今早广州又遭到两次轰炸。第一次是拂晓四时,一架日本飞机投下五枚炸弹。该机返回时,在沙面,重点是英国桥上空低空飞行。

 東山付近の小学校が完全に焼き尽くされたが、幸運なことに休みの期間で生徒が少なく、このたびは惨劇を免れた。住民たちはひと安心したもののまだ落ち着かなかった。今朝も広州は二度の爆撃に遭った。一度目は、夜明け前の四時に、一機の日本の飛行機が五発の爆弾を投下した。同機は戻っていく時に、沙面の、とくに英国橋の上空を低空で飛行していった。

 

第二次是上午八时半,十架重型轰炸机和若干战斗机空袭。不时地可看到在晴朗的天空中,空战,爆炸,高射炮弹爆裂的奇观。

 二度目は、午前八時半で、十機の重爆撃機と少数の戦闘機による攻撃が行われたが、晴れ渡った空だったので、空中戦、爆撃、高射砲弾の爆発などの光景がよく見えた。

 

管理广州东郊某医院的美国医师贝茨(Dr. F. E. Bates)在广州的外国侨民助华正义委员会发行的小册子上叙述到:九月二十二日下午,日军飞机向住宅区投下六枚炸弹,炸死约三百人。轰炸后贝茨马上驾驶汽车赶到现场,抢救了伤员,其中有很多生命垂危的重伤员。”他接着说:“九月二十二日我们在轰炸后的二十分钟就赶到了现场,当时警报还没有解除,因遭到了极大的破坏,街道也禁止通行,军警不准我们自由通行。爆炸的硝烟尚未消散,路上堆满炸碎的木头,破碎的玻璃,砖瓦,泥块及各种建筑材料。到了现场,周围的军警告诉了我们有伤员的地方。

 広州の東郊のある病院を管理しているアメリカ人の医師ベイツ氏Dr. F. E. Batesは、広州の外国人居留民助華正義委員会が発行した小冊子の中で、「九月二十二日午後、日本軍の飛行機が住宅区に六発の爆弾を投下し、約三百人が爆死した。爆撃後に私は、すぐに現場に自動車で駆けつけて、負傷者の救護に当たったが、そのうちの多くは生命の危険がある重傷者であった」と述べている。彼はそれに続けて次のように述べた。「九月二十二日、我々は爆撃のあった二十分後に現場に駆けつけた。その時はまだ警報は解除されていなかったが、損害があまりも大きかったので、通行禁止の道路でも軍警察が我々の自由通行を許可してくれた。爆発の硝煙はまだ消えておらず、路上には砕かれた木材や割れたガラスや煉瓦、泥の塊およびさまざまな建築材料が山のように積まれていた。現場に到着したところ、周囲の軍警察が我々に負傷者のいる場所を教えてくれた。

 

人类之中最可怜的受难者们听说救护队到了,从废墟的各个角落里,一个接一个地走了出来。这些废墟不就是他们安乐的家码?!受难者的惨状是难以想象的,有的满脸是血,爬行于废墟之下,大声地呼叫着不知去向的亲人。

 人類の中で最も憐れむべきだ受難者たちは、救護隊の到着を聞いて、廃墟のあちらこちらの角から、一人また一人と出て来た。廃墟となったここは、彼らにとっては安楽な家庭ではなかったのか。受難者の惨状は想像に難くない。ある者は顔中血だらけで、またある者は廃墟を這いずり回りながら、行方不明の家族たちを大声を上げて探し回っていた。

 

一位八十几岁的老妇人,头上流着血,恳求我们救救她的儿女和孙女。困惑的孩子们到处寻找永久也找不到的母亲,仿徨着。一个男子,从倒塌的木板,柱子,墙壁里爬了出来,手里抱着一个头部和眼睛负重伤的十岁左右的女孩。他恳求我们先把他们送到医院,他的母亲,妻子和两个孩子都压在屋下,他似乎非常恐惧,怕将要失去这唯一还活着的女儿。

 八十歳すぎの老婦人が頭から血を流しながら、自分の娘と孫娘を助けてほしいと我々に求めてきた。また、いくら探しても永久に見つけられないであろう母親を求めて途方に暮れている子どもたちがいた。一人の男が倒壊した建物の板、柱、壁の間から抜け出てきたが、頭や目に重傷を負った十歳前後の女の子をその腕に抱えていた。彼はまず自分たちを病院に送ってくれと懇願したが、自分の母親も妻子も二人の子どもたちもすべて家の下敷きになっていたので、唯一生き残った娘だけでも失わずに済むように求めていたのである。

 

这类故事是讲不完的,我们用汽车运送平民伤员的几分钟内,就看到多少触目惊心的景象。到现场的有六家医院,我们不过是其中之一。耳朵里充满呜咽声和呻吟声。有人为失去了亲人而号啕大哭,有人为失去了一切而哭泣。出了医院他们住在哪为好呢?怎么解决食品问题?这些人世间的苦难,说也说不完,写也写不尽。这些受难者居住的地方并不接近兵营,兵工厂,重要铁路线及防御设施,而是广州繁华区的一角。侵略者对于人类的生命没有丝毫怜悯之情。对于侵略者来说,这只不过是残酷无情的破坏行为和恐怖行为的一种程序而已。

 

この類いの事件はまだまだ他にもある。我々が負傷した市民を自動車で運ぶ数分の間にも、多くの驚くべき光景を目にしたのであった。六つの病院の車が現場に到着しており、救助に向かった我々はその中の一つに過ぎなかった。そこで聞こえるものは、嗚咽と呻吟の声ばかりであった、ある者は親を失って大声で泣き叫び、またある者は一切のものを失って泣き崩れていた。彼らは病院を出た後にどこに住みどうやって食糧の問題を解決すればいいのだろうか?これらの苦難は、どれだけ語ったも、どれだけ書いても言い尽くせないものだ。これらの受難者たちが居住していた地域は、近くに兵営も兵器工場も、重要な鉄道路線も防御施設もない、広州の繁華な地域の一角であった。侵略者たちは人間の命に対する憐憫の情を全く持ちあわせることなかった。侵略者に対して、これはただの残虐で無情な破壊行為であり、恐怖をもたらす行為の一つに過ぎないのだ、ということを敢えて述べておきたい」。

 

一九三七年十月三十日的《密勒士评论周报》刊载了十月三十日的广州电讯,就日本在华南活动情况做了以下叙述:

 一九三七年十月三十日の「チャイナ・ウィークリー・レビュー」は、十月三十日付の広州電として、日本軍の華南における活動状況について、以下のように述べている。

 

广州的各村镇,渔船,商船,铁路,工厂,无论是有无设防的市区,都成了今天日本轰炸机的目标。遭轰炸的人们没有任何方法来保护自己的生命。因此出现了相当多的伤亡。据最审慎的估计,在广州近郊因轰炸而死亡的至少达八百人,都是平民。再有,他们遭难的地方,大都距离高射炮阵地很远。

 「広州の各町村は、漁船、商船、鉄道、工場を問わず、もちろん防衛施設の有無にもかかわらず、みな本日は日本の爆撃機の目標となった。爆撃に遭った人々は、自分の生命を守る何らの方法も持っていなかったので、相当多くの死傷者を出した。最も周到かつ慎重な統計によっても、広州近郊での爆撃による死亡者は、少なく見積もっても八百人に達した。しかも、みな一般市民であった。また、彼らが被害に遭った場所は高射砲の陣地から遙かに遠く離れていたのである。

 

日本飞机轰炸住宅区造成许多平民伤亡外,还企图摧毁造价高达百万元的※中山大学,中山纪念堂等新建的华丽的巨厦。幸运的是,几个炸弹落在附近,未命中。

中山大学・・・広東省にある国家教育部の重点大学の一つ。「中山」という校名は、孫文の号「孫中山」に由来する。

 

日本軍の飛行機は、住宅地域を爆撃し一般市民を死傷させたほか、建設費が百万元にもおよぶ中山大学と新建築中の中山記念講堂の華麗で巨大な建物を破壊しようとしたが、幸いなことに、数個の爆弾が近くで爆発しただけで命中はしなかった。

 

从九月十一日至现在,广州遭受五十六次空袭。比刻飞机在记者的头上盘旋。换一句话说,广州在过去的一个月里平均每天遭受两次空袭。

 九月十一日から現在までに、広州は五十六回の空襲を受けた。この時間にも飛行機は記者の頭上を旋回している。換言すれば、広州は過去の一ヶ月間、平均的に毎日二回の空襲を受けている。

 

武昌,汉口,汉阳三镇是重要的工业中心,被称为‘东方的芝加哥’,地处长江的中游,距离上海七百多英里,人口有一百万左右。

 武昌、漢口、漢陽の三地区は、重要な工業の中心地で、「東洋のシカゴ」と称され、長江の中流に位置し、上海から七百マイル離れた人口百万前後の都市であった。

 

一九三七年九月二十六日,上海《字林西报》登载了路透社九月二十五日电讯如下:

 一九三七年九月二十六日、上海の「デイリー・ニュース」は、以下のようなロイター社の電文を掲載した。

 

昨天下午轰炸还在继续,夜间日本飞机也来袭击,死亡愈多,破坏愈甚。两次空袭的时间仅十分钟,遭受的损害是非常惊人的。

 「昨日午後の爆撃に引き続き、夜間にも日本の飛行機の襲撃があり、多くの死者を出し、破壊も甚だしいものだった。二度目の空襲の時間はわずか十分間であったが、その被害は非常に恐るべきものであった。

 

所有的中国医生,助手和护士都遵照政府当局的命令,总动员,中国红字会及普爱医院的职员也积极从事救护工作,减轻受难者的痛苦。由于电力不足,许多手术需在灯下进行,对于重伤员只好靠麻醉来缓解剧痛。

 中国人の医師、助手、看護師などはすべて政府当局の命令に従って、総動員体制で、中国赤十字会および普愛病院(Methodist Mission Hospital)も積極的に救護の仕事に従事して、受難者の苦痛の緩和に努めた。だが、電力不足のため、多くの手術がろうそくの火の下で行われ、重傷者に対しては激痛を緩和させるために麻酔をかけることしか出来なかった。

 

今天早晨见到在长二百英尺,宽一百五十英尺的场所,竟遭受了三枚炸弹,完全成了屠宰场。救护工作仍在进行,人们从瓦砾堆中搜寻尸体。

 今朝になって見たところ、たて二百フィート、よこ百五十フィートの場所に、三発の爆弾が投下されて、まったくの屠殺場と化していた。救護の仕事が進められ、人々は瓦礫の中に埋もれている死体を探した。

 

武圣庙一带是汉口的贫民区,昨天的第一次空袭就变成了尸体集聚地。本社记者视察时亲眼看到这全部的悲惨状况。

 武聖廟一体は漢口の貧民区であるが、昨日の第一次の空襲で死体の集積場と変じてしまった。当社の記者が実際に見た時はすべてが悲惨な状態であった。

 

该区街道有六英尺宽,两边排列着象鸽巢似的小屋。现在全部被炸毁。居民,行人都被炸死,到处横躺着死尸。救护队把尸体集中到一处。特别使我惊愕的是露在瓦砾外面的手脚还在微微抖动。但是找不到工具将压在下面的人救出。

 

同区の道路の道幅は六フィートで、その両側には鳥の巣のように小屋が建ち並んでいたのだが、今では完全に破壊されてしまった。住民も通行人もみな爆死し、至る所に死体が転がっていたので、救護隊はそれを一箇所に集めた。とくに我々を驚かせたのは、瓦礫の下から突き出ている手足がかすかに揺れ動いていることだった。しかし、道具を見つけるまでには至らず下敷きになっている人を救出することは出来なかった。

 

本社记者在街上看到,被送走的伤员有一百二十多人。有的悲痛地大声呼号,有的已无生气。运死尸的情景更惨不忍睹。死人和活人一起运,伤员的伤口未经处理,流着鲜血。

 当社の記者が街頭に立って見ていると、百二十人を超える負傷者が運ばれてきたが、ある者は悲痛な叫び声を上げ、ある者は生気を失っているのであった。死体を運んでいる光景はさらに悲惨で見るに堪えなかった。死んだ者も生きている者も一緒に運ばれ、負傷者の傷口も手当がされず鮮血が流れ続けていた。

 

死亡的儿童数量很大,由于轰炸时都逃进屋里。因此,小孩死尸的数量要比成年人的死尸数量多。警察,学生及自告奋嗯勇者,在最恨苦的情况下,热心地坚持工作,尽全力抬伤员,运尸体。深夜,许多学生已经非常疲劳,但他们没有放弃工作。

 死亡した子どもは、爆撃時に家の中に逃げ込んだためであろうか、膨大な数に上り成人の死亡者数よりも多かった。警察や学生、さらには、最も苦しい状況の中で自ら進んで奮闘する人々などが全力を傾けて、負傷者を助け起こしたり死者を運んだりしていた。深夜になると多くの学生たちが疲労困憊の状態になったが、彼らはその仕事を放棄することはなかった。

 

吴国桢市长以及其他官员,亲临现场指挥监督,排解混乱。由于电力不足,医生及救护人员缺乏,尽管所有的人们一起尽了力,但整体的救护工作还是蒙受了非常大的阻碍。

 市長の呉国楨ならびにその他の職員は、自ら現場に赴いて指揮監督に当たり、混乱を収拾した。電力の不足に加えて、医師や看護師の人員が欠乏していたので、全員が協力して力を尽くしたものの、全体の救護の仕事としては非常に大きな妨げとなっていた。

 

武圣庙一带的居民约一万人,轰炸当时,数英里内没有见到一个中国士兵,也许日本飞机的目标是兵工厂吧?但兵工厂至少距离此地四英里。

 武聖廟一帯には約一万人の住民がいたが、爆撃の当時は、周囲数マイルに一人の中国兵もいなかった。恐らく日本軍の飛行機の目標は武器工場にあったのだろうが、兵器工場は少なくともここから四マイルは離れていたのだった。

 

附近的女子学校的学生们,完全陷入歇斯底里的状态,残酷的情景,使她们惊恐的发狂。在汉口以外,武昌,汉阳也同时遭到轰炸,一枚炸弹命中汉阳的难民收容所,炸死了六十名难民。

 近くの女学校の生徒たちは、残酷な情景を見て完全なヒステリー状態に陥り、発狂寸前にまで追い込まれた。漢口以外では、武昌、漢陽なども同時に爆撃された。漢陽の難民収容所には一発の爆弾が命中しただけで、六十名もの難民が爆死した。

被炸的地方都起了火,到深夜依然火焰熊熊。轰炸汉口的九架日本飞机,向离英国炮舰亚斐斯(Aphis)号仅二百码的江中投下了两枚炸弹。

 爆撃された地域ではすべて火災が発生し、深夜に至っても火炎は依然として燃えさかっていた。日本軍の飛行機は九機で漢口を爆撃したが、長江に浮かぶイギリスの砲艦アフィス号からわずか二百ヤード離れた場所にも二発の爆弾を投下した。

 

昨天被炸的武圣庙一带,今天又遭到轰炸,这里是汉口平民区最悲惨的。许多憔悴的无家可归的受难者,在街头仿徨。精疲力尽的救护工作人员在挖掘被活理的人们。被挖出的悲惨的受难者,有的遍体残毁,生不如死。

 昨日爆撃された武聖廟一帯は、今日もまた爆撃に遭った。ここは漢口の中でも最も悲惨な地域であった。多くの憔悴しきった受難者は家もなく帰るところもなく路頭をさまよっていた。救護に全力を尽くして疲れ切った人々が生き埋めになった人々を掘り出そうとしていた。掘り出された負傷者の中には、全身がひどく損なわれて生きているのが不思議という人もいた。

 

本社记者曾遇到一个十岁的男孩,背着满身鲜血的母亲的尸体,放在医院看守人前,请求帮助埋葬。他还要回去寻找兄弟姐妹。

 当社の記者は、十歳ぐらいの男の子に出会ったが、その子が全身血だらけの母親の死体を背負って、病院の守衛の前に置いて埋葬を頼んでから兄弟や姉妹を探しに出かけていくのを目撃した。

 

还看到一间屋中有三个男孩,真象死人一样,毫无生气地坐着,其中一人抱着死去了婴儿。还有一家,隔壁屋里堆满死尸,一个妇女象是什么也不知道似地,竟然在专心地煮饭。

 また、一軒の家の中に三人の男の子がまるで生気もなく死んだように座っているのも見た。その中の一人は死んだ赤ん坊を抱いていた。またある家では、壁を隔てた隣に死体が山のように積まれている場所で、一人の女が何も起こらなかったかのように、こともあろうに飯炊きに専念していた。

 

来自中国方面的消息,中国空军战斗机,在离汉口四十公里处击落了一架日本轰炸机。外国评论家说,日本飞机空袭时的高度是二千英尺,完全可以判断出武圣庙一带的人口密度及有无军事目标。日军飞机不应该一无所睹。市民们担心着日本飞机的空袭,终日仰望着天空。

 

中国方面からは、中国空軍の戦闘機が漢口から四十キロほど離れた所で、日本の爆撃機を一機撃墜したという報道があった。外国の評論家は、日本軍機の来襲は高度が二千フィートであったから、武聖廟一帯の人口密度や軍事目標は容易に判断できたはずで、日本軍飛行機にそれがわからなかったはずはないと述べた。また、市民たちは日本軍機の来襲を恐れて朝から晩まで空を仰いでいると付け加えた」。

 

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