(三)オーストラリアの旅 (1/5)

@ 44日間でひと回り
(86/10/26〜11/5 各地にて)


これは、オーストラリアで夏にあたる


時期にバックパッカーとして44日間


ひとり旅をしたときの記録である。







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第1日 10月26日(日)シドニー
 今夜からオーストラリア一周の旅に出かける。
40日あまりのわずかな日数で、この広大な大地
を回りつくそうというのだから、今回もまた、駆
け足の旅になってしまうのだろうか。いや、今回
は、昨年の大都会中心の「旅行」とは趣を変えて、
大自然のふところの深さを味わうとともに、オー
ジーの人情にも触れてこよう。さらに、先住民ア
ボリジニの神話やその風土なども調べてこようと
いうのだから、欲ばり過ぎの旅といえるだろう。
 アボリジニに関する研究は、表面的であった前
回よりはもう一歩進めたいと決意している。
 さて、こういう趣旨の旅なので、経費は最小限に切りつめなけれ
ばならない。交通費・宿泊費・食費を合わせて、一日4000円以
内でおさめるつもりなので、かなりきびしい貧乏旅行になるだろう。
 (*86年10月当時、1オーストラリア・ドル当たり約100円)



第2日 10月27日(月)メルボルン
 シドニーと並ぶ大都会だが、往時を偲ばせる
古い建築物が多く、町全体に落ち着いた雰囲気
がただよっている。教会は厳かにそびえ、公園
は静かに横たわっている。道行く人々の足取り
も、シドニーに較べてゆっくりしている。
 チャイナタウンでチャーシューメンを食べた。
850円と高かったが、実においしかった。チ
ャーシューがどんぶりの中に折り重なって入っ
ており、それだけでも満腹になりそうな量であ
った。隣りのテーブルに目をやると、中国人ら
しき人がビールのジョッキを片手に、餃子をほ
おばっていた。傍目にもおいしそうであったが、
注文しなくてよかったと思った。あまりにも量
が多いと思ったからだ。
 昨夜シドニーを出発して、ほとんど眠れないまま、12時間半も
バスに揺られてきたので、今日は、一日中ねむくて仕方がない。
 明日から一週間かけて、アップルアイランドと呼ばれるタスマニ
ア州を一周することにする。


第3日 10月28日(火)デボンポート

 昨夕6時にメルボルン港を出発した豪華客船、エイベル・タスマ
ン号の船旅は快適だった。乗船するやパブで冷たいビールを味わい、
キャビンに戻っては暖かいシャワーで汗を洗い落とした。翌朝キャ
ビンの寝台で目が覚めると、エイベル・タスマン号は、タスマニア
島の玄関口デボンポートに着いていた。



第4日 10月29日(水)デボンポート・ロンセストン

 タスマニア島は「アップルアイラン
ド(リンゴの島)」と呼ばれている。
その名の由来は、一つには、島の形が
リンゴに似ているからだが、もう一つ
は、おいしい小粒のリンゴがたくさん
採れるからだ。
 島の大きさは、北海道と同じぐらい
で気候も似ているので、タスマニアを
旅していると北海道にいるような錯覚
にとらわれてしまう。
タスマニアにも広大な牧場があり、緑の高原があり、さらには美し
い峡谷もある。
 デボンポートからロンセストンまでは、2時間足らずのバスの旅
であったが、北海道と似た周囲の景色が大いに目を楽しませてくれ
た。
 私の乗ったバスは、車中での禁酒、禁煙はもちろんのこと、もの
を食べることさえも禁じられていた。それなのに、最後尾の座席に
は、大きな声で独り言をわめき、タバコをふかしながら、ウィスキ
ーをラッパ飲みしている男がいた。乗客はみな眉をひそめていたが、
気味の悪い風貌なので近寄ろうとはせず、むしろその男から意識し
て目をそらすようにしていた。そのままバスが1時間ほど走り続け
ていると、その男は、いつの間にか正体なく泥酔し眠り込んでいた。
それに気づいたバスのドライバーは、病院とおぼしき所にバスを止
め、乗客の助けを借りて、その男を引きずり出した。数人の乗客が
手を貸して、男を芝生の上に転がしたところ、これまでバスの中で
静かに座っていた若い女性が男の荷物を窓から放り出した。乗客は
みな拍手喝采をしてその女性の行為を讃えた。バスは、何事もなか
ったように、美しい景色の中を走り続けた。ドライバーの対応とい
い、乗客たちの協力の仕方といい、実に見事なものであった。それ
に較べて、拍手だけしかできなかった傍観者の自分が恥ずかしくて
ならなかった。
 そのうちにバスはロンセストンに着いた。ここは、タスマニア島
で2番目に大きい町であると聞いた。バスを降りると、緑ゆたかな
公園と由緒ありげな建築物があちらこちらに見受けられた。私は、
一目でここが気に入ってしまったので、予定にはなかったが、この
町で2泊することに決めた。



第5日 10月30日(木)ロンセストン

 ロンセストンは、イギリスのたたずまいを思わせる落ち着いた町
だ。赤いレンガ造りの建物が緑の芝生に映えて美しい。町中を流れ
て海に注ぐ川の流れが心を和ませてくれる。ここには、華やかなも
のは何もないが、終生住んでみたくなるような所だ。「ロンセスト
ンは人情味あふれる人が多い」と、公園のベンチに座っていた老夫
婦が教えてくれた。
 昨日は勝手がわからなかったので、町のホテルに泊まったが、2
泊続けては高く付くので、今日はユースホステルに移ることにした。
 ユースホステルのウォーデン(管理人)は、実に話し好きの人だ
った。夜になって、私が地図を見ながら旅行計画を練っていると、
そばへ寄ってきては、旅のおもしろさや気を付けなければならない
ことなどを次々にまくし立てた。多くはどこでも耳にするようなた
わいのないものであったが、中には、私が重宝していたガイドブッ
ク
    "Australia" a travel survival kit
にも載っていないような情報があったので書き記しておくことにす
る。
(1)タスマニア島では、デボンポート・ロンセストン・ホバート
・バーニー以外の小さな町では、トラベラーズ・チェックは使えな
いし、プラスティック・カード(彼らは、キャッシュ・カードやク
レジット・カードをこう呼ぶ)は、役に立たないから現金を用意し
ておくこと。
(2)西海岸では、日曜日に動く公共交通機関がまったくない。
(3)東海岸では、土曜日・日曜日の公共交通機関がセントメアリ
ーから
 ホバートまでの区間はまったくない。
 以上のようなことであったが、 以前の北海道旅行を思い出しなが
 ら、 ウォーデンはそういったが、タスマニア島は北海道と似てい
 る島だから、 何とかなるだろうなどと、根拠もないのに甘く考え
 ていた。
 さらに、彼は、オーストラリアの先住民・アボ
リジニにまつわる話を次から次に話してくれた。
アボリジニがアジアのいくつかの地域から数万年
前に渡ってきてオーストラリアに住みついたこと、
アボリジニの文化はユニークで水準が高いこと、
タスマニア島のアボリジニは1960年代に絶滅
してしまったことなどを、私がなにも知らないと
でも思ったのか、先生が生徒に話すようにていね
いに教えてくれた。いろいろと興味深いことを話
してくれたウォーデンであったが、私には質問も
させず、2時間近く「演説」を続けたので、私は、
途中から少々うんざりしてしまった。そしてふと、日本の民宿で同
じような人物に出会ったことを思い出し、つい苦笑いをしてしまっ
た。


第6日 10月31日(金)ホバート

 3日前にデボンポートに着いた時から、どうすればタスマニア島
での交通費を安く上げることができるかと、電卓を片手にあれこれ
と考え続けていた。
 まず最初の計算は次のようだった。
@ デボンポート 〜 ロンセストン   8ドル60セント
A ロンセストン 〜 ホバート     12ドル60セント
B ホバート 〜 クイーンズタウン   22ドル00セント
C クイーンズタウン 〜 バーニー   19ドル00セント
D バーニー 〜 デボンポート     8ドル00セント

 タスマニア州内の主だった市を訪れることを前
提にして、バス路線の料金表で計算してみると、
70ドル以上かかることがわかった。そのほかに、
それぞれの市の周辺を回るバス代を入れると、9
0ドル近くになるはずだった。
 そこで、安上がりの上に、毎度切符を買うとい
う手間のいらないタジー・パス(オーストラリア
本土にオージー・パスがあるように、タスマニア
にはタジー・パスがある)を利用することにした。
このパスを買えば、7日間は乗り放題、どこへで
も、何回でも使えるので、たいへん好都合だと考
えたからだ。
 こうして、3日前にデボンポートを出発したの
だが、事実、タジー・パスは便利だった。乗車受
付のカウンターかバスのドライバーに、パスを提示するだけで、こ
こホバートまで簡単にやって来ることができたのだった。私は、こ
こを軸にしてタジー・パスを使って、あちらこちらを自由に回るつ
もりで計画を練った。何しろホバートは、タスマニア州の州都であ
り、オーストラリア最南端の有名な港だから、見学場所には事欠か
ないはずだ。ガイドブックにも、ホバートは、オーストラリア全土
で2番目に古い街で、町並みにイギリス的な風情があることや、絶
滅したタスマニアン・アボリジニに関する資料を集めた博物館があ
ると書かれている。また、ホバートは、100年ほど前まで監獄の
地であったポート・アーサーにも近いということが同じガイドブッ
クで強調されていた。
 そこで、ホバートに2泊することにした。改めて今後の交通費・
宿泊費・食費などを計算してみたが、何もかもうまくいきそうだっ
た。
 ところが、何気なくバスの時刻表を見て驚いた。日曜日に到着す
るはずの次の予定地、クイーンズ・タウンへのバスがなかったのだ。
そこで私は、ユースホステルのウォーデンの、「西海岸では、日曜
日に動く公共交通機関がまったくない」と言ったことばを思い出し、
人の忠告は注意深く聞くものだと痛感した。昨夜、ウォーデンのこ
とばを「少々うんざり」しながら聞いていた自分が恨めしい。
 この結果、日程の関係でクイーンズ・タウンをはじめとする西海
岸沿いの町へは行けなくなり、ホバートに3泊することになってし
まった。そこで、気持ちを切り替えて、「監獄の地」ポート・アー
サーに行くことにしたが、これも運に見放されていた。私がこれま
で頼りにしてきたタジー・パスが使えず、ポート・アーサーへは地
元のレッド・ラインというバスしか走っていないのである。ガイド
ブックには、「地元のバス会社と提携しているので、タジー・パス
はどこでも使える」というようなことが書いてあるが、これは正確
ではなかった。実に踏んだり蹴ったりというありさまだった。
 さて、愚痴はこれぐらいにして、今日見て来たポート・アーサー
の印象を記すことにする。
 ポート・アーサーは、  イギリスで犯罪を犯した者(政治犯を含
む)が「流刑の地、オーストラリア本土」に流されあと、さらに犯
罪を重ねた場合に、最終的に送られる監獄の地であった。当時は、
囚人に対して、人間性を無視したひどい扱いがなされていたそうで
あり、拷問なども日常茶飯事であったと言われている。今は廃墟と
なっている監獄の気味悪さは予想を越えたものだった。すでに屋根
はなく、赤いレンガを積み重ねた壁面もかなり崩れてしまっている
が、囚人たちを閉じこめていた鉄格子がいまなお黒く光っていた。
かつてここで拷問や重労働を強いられた囚人たちの苦しみと呪いが
伝わってくるようであった。博物館に展示されていた拷問の道具は、
100年以上を経た今も、気味悪くも生々しくも、私に迫ってくる
ものであった。


第7日 11月1日(土)ホバート

 今日は一日のんびりとホバートの市内を見学した。時おり激しい
風が吹き、にわか雨が降ったりする不安定な天候であったが、ゆっ
くりと町の中を見て回ることができた。
 しかし、大きな期待をしていたアボリジニに関する博物館の展示
は、質的にも量的にも不十分なもので、正直なところたいへんがっ
かりしてしまった。


第8日 11月2日(日)ホバート・デボンポート


 日曜日は、日本などとは違って、多くの公共施設はもちろんのこ
と、ほとんどの商店が閉まっている。タスマニアの州都の中心にい
るのに、観光や買い物はもとより、何一つすることができない。
 仕方がないので、バスに乗って移動することにした。しかし、西
海岸のクイーンズタウンへ行くバスは、日曜日のため運休している
ので、結局のところ、三日間かけてやってきたもとの道を再び戻る
しかなかった。
 午前9時半にホバートを出発して、デボンポートに着いたのが午
後3時半だった。憧れのタスマニア島を、何ともあっけないことに、
わずか6時間で縦断してしまったのだ。すると、苦労してやってき
た行きの3日間は、いったい何だったんだろうか。


第9日 11月3日(月)バーニー

 タスマニアが誇るレッド・ラインのバスに乗って、再びバーニー
までやってきた。タジー・パスは、今日が有効期限の最終日であっ
たが、わずかな距離しか利用できなくて残念でならない。タジー・
パスを利用した日数と路線を振り返ってみてさらにがっかりした。
7日間利用できるはずであったのに、宿泊した場所や曜日の関係で、
実際には4日間しか利用できなかったし、路線も同じところを往復
したにすぎなかった。
 しかし、これでもガイドブックなどに取り上げられる代表的なと
ころはすべて訪れることができたので、おおむね良しとすべきであ
ろう。さらには、「赤字・路線」と思われる「レッド・ライン」の
経営にいくばくかの貢献をなしたと考えれば、私の損もそれなりの
意義を持つであろう。

 さて、このへんで私の旅姿について述べることにする。上はセー
ター、下はジーンズで、ウォーキング・シューズを履き、背中にザ
ックを担ぐというスタイルで、いわゆる典型的なバック・パッカー
のいでたちである。本人としては、若々しくさっそうとした姿を意
識しているのだが、街角のショーウィンドーが鏡になると、そこに
映るのは、日焼けした顔にサングラスをかけ、いがぐり頭でずんぐ
りした体型の、得体の知れない中年の東洋人の姿であった。私が正
しいのか、ショーウィンドーの鏡が正しいのか、いずれであるにせ
よ常日頃はこの格好で足取りも軽く歩き回っている。だが今日は、
旅の疲れがでてきたのであろうか、足が思うようには進まなかった。
 バーニーは、タスマニアで三番目に大きな市であるが、今日はバ
ンク・ホリデイで、街には人影がほとんど見受けられなかった。私
はのろのろと足を引きずるように街の中を歩いていた。人のいない
銀行前の木陰で休んだり、貴金属店のウィンドーをのぞき込んだり
していた。こうしたそぞろ歩きをしているうちに、私はいつのまに
か銃砲店の前に立っていた。展示されていた鉄砲やナイフなどを何
気なく手にしていると、後ろからクラクションの音が聞こえた。振
り返ってみると、そこには州警察のパトロール・カーがあった。な
ぜだかわからないが、私は思わずどきっとして、その場に立ちすく
んでしまった。若い体格のいい警官が車から降りると、つかつかと
私のところにやってきた。「ここで何をしているんですか」、「こ
れからどこへ行くんですか」と私に尋ねた。ことばはていねいで笑
顔を作ってはいたが、態度にはどことなく厳しいものがあった。私
が素直にホテルに名を告げると、警官は、パトカーに乗れという。
私は、少し緊張したものの、地図を示しながら「一人で行けるから
だいじょうぶだ」と答えた。すると警官は、表情をさらに固くして、
「パトカーでホテルまで送ってやる」という。仕方なく、私は乗せ
てもらうことにした。警官は、私をホテルの玄関前で降ろすと「良
い一日を!良い旅を!」といった。私は「ありがとう」とだけ答え
た。
 銃砲店の前に立っていた私の服装や態度におかしい点があったの
だろうか。いや、そんなことはないはずだ。私は、「若々しくさっ
そうとした」日本男児だ。うさんくさく怪しいふんいきなどはない
はずだ。してみると、警官の見せたあの態度は親切心であったに違
いない。そう思うことにした。そうだ、ここはタスマニアだ。ホリ
デイ・アイランドだ。きっとあの警官は、ホリデイを楽しんでいる
私に、暖かいサービスをしてくれたに違いない。こう思ったら、不
愉快さが消えた。「ホリデイ・アイランド、タスマニア万歳!」


第10日 11月4日(火)デボンポート

 ここへは、メルボルンからの行きと帰り、そしてバーニーからの
行きと帰りで合わせて4回も来てしまった。それにしては何の変哲
もない街だ。
 デボンポートは、静かで美しい街だが、変化に乏しく活気がない
ので、若者向きではなさそうだ。だが、のんびりと老後を過ごすに
は良さそうな街だと思われる。
 バス海峡へ流れ込むマージー川に沿った道は、西側が緑の芝生に
囲まれた絶好の散歩道になっている。散歩する人は、右手にはマー
ジー川の豊かな流れを味わい、左手には美しく咲きそろう花々を楽
しむことができる。また、左手の奥にはいくつもの赤レンガ造りの
の建物が古風なたたずまいを見せている。その中の一角に「60歳
以上の人のクラブ」があった。老後を楽しむ老人たちの社交の場で
あろう。あるいは、そこで第二、第三の青春を迎えている人がいる
かもしれない。
 しかし、私の場合、この散歩道を往復するだけで十分であった。


第11日 11月5日(水)デボンポート・メルボルン

 エイベル・タスマン号は、さながら動くホテルだった。豪華なレ
ストランあり、ラウンジ・バーあり、ディスコ・バーありという具
合で、飲食する場に事欠かない上に、さらに、温水プールやサウナ
・ルームまで付いていた。
 私は、乗船するとすぐにキャビンでシャワー、パブでビールとい
う前回と全く同じコースをたどった。
 どうも人間の習性として、同じことを繰り返すものらしい。
 夕食後に行ったラウンジ・バーで興味深い人間に出会った。バー
で働くボーイさんだが、日本びいきだという。どうも、ヨネクラジ
ムという有名なジムでボクシングの修業をしたことがあるらしい。
しかし、ボクシングについてはあまり語ろうとはせずに、東京の盛
り場での楽しかった思いでばかりを語っていた。それにしても、彼
が東京の山の手線の駅名を全部覚えていたのには驚いた。ところで
彼は、中国系のオーストラリア人だが、角刈りの頭に口ひげを生や
すという典型的な日本人のボクサーと同じ風貌を作り上げていた。
 どうも人間の習性として、人と同じことをしたがるものらしい。
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