(二)ドイツの旅

 

国際青少年図書館見聞録

 

(85年7月 ミュンヘンにて) 

ドイツ語のメルヘン(おとぎ話・昔話)という言葉は、二つの異なった意味で使われるそうだ。「おとぎ話をするのはやめてくれ」というのは、相手を非難したり軽んじたりするときに使い、この場合、メルヘンという言葉は、「手の込んだうそ」という意味になってしまう。そうかと思えば、 何かすばらしいものを見たときに、「まるでおとぎ話のようだ」というと、これは、「信じられないくらい良い」という意味で使われる。これがドイツでの「メルヘン」という語の使われ方だ。

日本では、その訳語にあたる「おとぎ話」「昔話」は、いい意味で使われ場合もあるが、悪い意味の使い方が多いようだ。「おとぎ話」は、 「実現不可能な話」であり、「昔話」は、「古くさく役に立たない話」ということになってしまっている。ことばの使われ方や意味合いは、その時代と密接なかかわりを持っているものなので、これは取りも直さず、日本でのおとぎ話や昔話、ひいては児童文学に対する現在の評価が決して高くないことを物語っている。

それでは、実際に見聞したドイツの児童文学の背景と日本のそれとを、図書館を例に引きながら述べてみることにする。 ミュンヘン市郊外の閑静なところに国際青少年図書館(International Youth Library)がひっそりと建っている。小さなせせらぎが回りを取り囲む公園の中にあって、子どもたちが本を読んだり、研究者たちが調べものをしたりするのにふさわしい環境がつくられている。

I.Y.Lは、ユネスコの援助を受けて、イエラ・レップマンによって、世界で初めて青少年のための専門図書館として設立された。レップマンは、自分の広大な土地と建物を公共のために提供したばかりでなく、I.Y.Lの設立のために寸暇を惜しんで働いた。I.Y.Lの二階、三階は、事務室・研究室・資料室などになっており、ここには最新のOA機器が設置され、書類や資料の整理と事務の能率化が計られている。書庫は地階にあり、コンピューター管理によって完全な湿度調節・温度調節がはかられている。蔵書は、驚いたことに、百十カ国語で書かれた児童書が四十万冊に及び、それも毎年一万五千冊ずつ増えているという。(*97年現在は、50万冊を越えていると推定される)さらに驚いたことは、すべての児童書が国別・言語別に分類され、ボタン一つで動く電動の書架にそれぞれ整然と配置されていることだった。電動の書架の上部には国別・言語別を示すパネルが貼られているので、必要な本を探すのはきわめて容易だった。

この図書館の運営は、はじめのうちユネスコの手で行われていたが、いまはドイツ政府の援助を受けて、ミュンヘン市が担当している。図書の購入や分類は、何カ国語も読める児童文学の専門家がそれに当たり、質の高い整理の仕方をしている。毎年急速に蔵書数が増えているのは、ドイツ政府やミュンヘン市が力を入れているからだが、それに加えて、各国の政府や出版社の援助があるからだと聞いた。各国の出版社は、児童文学の新刊書を発行すると、すぐ無料で送って来てくれるという。これが蔵書の中でかなりの比率を占めるまでになってきていると聞いた。ところが日本の場合、国内の出版点数は多いが小包郵便の料金が高いので、ある特定の出版社を除いて、ほとんど送ってくれないそうだ。

さて、質量ともにすぐれたI.Y.Lに較べて日本の図書館の場合はどうであろうか。大阪には、児童文学研究者・鳥越信氏の個人的蔵書であった児童書・研究所、数万冊をもとにした「大阪国際児童文学館」が民間の手によって設立されたが、これは日も浅く不備な点もあって、十分に活用されているとは言えない。これには、政府や地方自治体の強力な援助が必要だと思われる(*97年現在、状況は少し改善されてきている)

ところで、日本を代表する図書館である国立国会図書館では、児童文学はどのように位置づけられているのだろうか。現在(*85年)のところ児童文学は、蔵書数も少なく、簡易整理が行われているに過ぎず、閲覧用目録すら作られていない。館外貸し出しについては、近年になってようやく図書館同士の間で行われるようになった。これとても、全国の図書館員や文学者・研究者などの運動があったからに過ぎない。地方自治体の図書館については、押して知るべしというところだろう。

I.Y.Lに較べて日本の図書館は、児童図書の分野において、現状では大きく遅れているが、児童文学に対する評価の高まりやさまざまな運動の広がりがあるので、いつの日かI.Y.Lにもひけをとらないものになるだろう。そして、「おとぎ話」や「昔話」という言葉が、「すばらしいもの」や「なつかしいもの」の意味で使われる日がいつかはやってくることを期待したい。

*印は、筆者の(注)A グリム生誕200年

 

(85年8月 フランクフルトにて)       

ドイツの昔話というと、すぐにグリム兄弟の名が浮かんでくる来年と再来年は(*1996・1997)は、グリム兄弟の生誕200年に当たるので、あれも見たいこれも知りたいと、心が高ぶってくる。ミュンヘンを後にして、次の都市フランクフルトに着く。街には、グリム兄弟に関する書物があふれ、さまざまな行事が計画されるなど、市民の関心も大いに高まっていると聞いた。そこで、フランクフルトの近くにある、グリム兄弟の生まれた町ハーナウまで足をのばそうと思い立った。フランクフルトから急行列車に乗ると、わずか20分でハーナウについた。 ハーナウの市庁舎前の広場には。グリム兄弟のおおきな銅像がたっていた。 プレートには、「1896年ドイツ国民の名においてこれをつくる」と刻まれている。兄のヤーコブは、弟ヴィルヘルムの椅子の後に手を置いて立っている。 ヴィルヘルムは、 椅子に腰をかけて、ひざの上に本を広げている。二人の後ろには分厚い本が積み上げられ、勤勉な兄弟たちの生前を偲ばせている。

ここまで来たついでに、二人が育った小さな町シュタイナウまで出かけてみることにした。このままフランクフルトのホテルに帰る気持ちには、とてもなれなかったからだ。シュタイナウは、想像していた通り、古い石造りの建物に囲まれた静かな町だった。町を歩いていて、ふと人形劇のポスターが目についた。マリオネット劇場という所で、グリムの劇を上演しているらしい。懸命に探し回るが、どこにも劇場らしきものは見あたらない。ところがなんと、マリオネット劇場は、お城の馬小屋を改造したような小さな小屋だった。大きな劇場だと思って高い建物ばかりを探していたから見つからなかったのだった。入り口の外にもぎりのおばあさんがすわっていたので、近づいてみる早口のドイツ語でなにやらまくし立てた。なにひとつわからない。仕方なしに、ふと目を上にやると、 「開演4時」とある。フランクフルトへの帰りの汽車が4時半なので、やむなくプログラムだけもらって、後ろ髪を引かれる思いでマリオネット劇場を後にした。

さて、民間の伝承から昔話を採取し、250作にも及ぶ芸術性の高い童話を作り上げたグリム兄弟が住んでいたこのあたりは、どんな風土と背景を持っていたのだろうか。シュタイナウより70qほど南にあるフランクフルトでさえ、北緯50度の地点にある。この緯度は、樺太の中央部と同じである。気候は、日本に較べて平均気温が低く、日照時間が短い。夏は短く冬が長い。地形は、平坦で高い山がなく、平野やなだらかな丘陵地が多い。ドイツは森林が多く、フランクフルト以北にもいくつかの森林地帯がある。樅の木などの針葉樹が多く見られるが、これが一人前に成長するまでに、150年もかかると聞いた。日本の場合は、50年程度だそうだから、そのあまりの違いに驚かされる。これは、樹木を成長させる上で必要な太陽の光や暖かさが不足しているせいだろう。ドイツ人の国民性とされる勤勉さ、信仰の深さ、忍耐強さも、こうした自然と関係があるのだろう。また、長くて暗い冬の間、じっと閉じこもるように暮らしたドイツ人が、静かに瞑想に耽ることを好み、ロマンティックな風情を持ち続けてきたことも、こうした風土で育ってきたことと関係があるだろう。また、グリム童話が生まれ、多くの国民の間で親しまれてきた背景に、風土との深いつながりもあるに違いない。

グリム童話の中に「野ばら姫(眠り姫)」というよく知られた物語があるが、この作品を素材にして、風土との関係を考えてみることにする。

野ばら姫は、15歳の時に、魔法の力で、100年の眠りに就かされてしまう。眠っている間に野ばらの生け垣が城の回りを一面に取り囲む。100年後には、さまざまな樹々が深い森のように茂る。その森に王子がやって来て、野ばらの生け垣の中に眠る美しい姫に口づけをする。姫は、その口づけによって100年の眠りから解き放たれて、二人はめでたく結ばれる。というという話だが、これまで私は、100年という年月を、ただ単に「長い長い間」とだけ理解していた。ところが、実際にドイツの深い森に入り、樹木を見つめ、一本の木が成長するまでに100年以上の歳月がかかると聞いて、はじめてそのほんとうの意味が分かってきた。100年という歳月は、野ばらの木にとっては、青年期に達するまでの期間であり、春になり美しく花開く日を待ち続ける忍耐の期間であろう。このように考えてみると、15歳という年齢の意味も分かってくる。このころは、子どもから大人に変わる過渡期であり、少女が物思いにふけって自分の殻に閉じこもったり、時には野ばらの棘のようにとげとげしくなったりする時期でもある。これを越えると少女は、春に目覚め、明るい未来に目覚め一人前の女に成長するのである。「野ばら姫」を勝手に深読みしてしまったようだが、北ドイツの人々もこのような受け止め方をしていたのではないだろうか。

私は、ドイツにやってきて、自分の目で古い森や建物を見つめ、2ヶ月という短い間だったが、ドイツの人々と触れあうことで、初めてグリム童話の糸口がわかってきたような気がする。「百聞は一見に如かず」であった。

      

 B「かえる」の標識(85年9月 シュタイナウにて)

フランクフルトから高速道路に入って驚いた。片側四車線の道がまっ直ぐにどこまでも続いている。時速100キロで走るタクシーの横を、目にも止らぬスピードで、乗用車が次から次に駆け抜けていく。アウトバーンと呼ばれるドイツの高速道路には、速度制限がないときいていたが、聞きしにまさるものだった。乗用車ほどのスピードではないが、大型トラックやトレーラーも轟音をたてて、私の横を走り抜けていく。轟音は、「そこのけ、そこのけ」と言っているように聞こえる。恐ろしくなって、「だいじょうぶか」とタクシー・ドライバーに尋ねると、「この国の車は性能がいいし、ドライバーのマナーもいいから心配するな。そんなことより、外の景色でも楽しんだらどうだ」という答えだった。そう聞いても少しも安心する気になれなかった。ドイツ人は、みな「スピード狂」なのではないかとさえ思った。

そのうちタクシーは、アウトバーンから旧道に入った。ほっとした。ほんとうにほっとした。タクシーは、小さな村に入り、民家の軒先をかすめるようにゆっくりと走る。家々の壁はベージュ色に塗られ、屋根には赤いレンガが積まれている。村を抜けると、なだらかな起伏が幾重にも連なる草原が始まり、その間を車はゆっくりと進んでいく。私にも、窓越しの景色を楽しむ心の余裕が出て来た。

すると突然、かえるのマークのついた交通標識が目に飛び込んできた。何かと思って、これまた尋ねてみると、「この辺は、かえるがたくさんいる所で、群れになって道路にも出てくることがあるんだ。車でひき殺したりするとかわいそうだから、こうして注意をしているのさ」と答えてくれた。この言葉を聞いて、いままで自分がたいへんな誤解をしていたことに気がついた。ドイツ人は、「スピード狂」どころか、「どこの国の人よりも優しい心を持っている。弱いものや小さいものに対して、深いいたわりの心を持っているのだ」と。こんな思いをし始めたら、なぜか、小林一茶の俳句が浮かんできた。

 

「やせがへる 負けるな一茶 これにあり」

       

この句に見られる一茶の優しさと、かえるの標識を立てた優しさとは、同じ心から出たものであろう。人の心の優しさは、時空を超えて生き続けてきているのだ、と改めて思わずにはいられなかった。こうしてみると、先ほどの、「そこのけ、そこのけ」と聞こえた轟音も、大きな「お馬が通る」から危ないよ、「雀の子」のような小さい車は気をつけなさいよ、という意味だったのだろう。

       

「すずめのこ そこのけそこのけ 御馬が通る」(小林一茶)

                 

 

Copyright 2002 Mituru Onda. All rights reserved