オスカー・ワイルド「幸福な王子」の表現方法

恩田 満

 オスカー・ワイルドは、学生時代から詩を書き、試作から散文の道に入ったので、その作品には詩的な表現が数多く見受けられる。「幸福な王子」では、 童話の書き出しの常套句ともいうべき、
        "Once uupon a time"
とか、
    
"There was once a statue of the Happy Prince…"
などという表現を用いていない。冒頭に突然、
    
"High above the city"
という副詞句を置き、街の空高く王子の像がそびえ立つさまを強調している。それから主語と述語の関係を倒置して、"Happy Prince"という語を読者に印象づけている。
  ワイルドは、この作品の中に多くの比喩を用いているが、みな少し変わった趣きを持っている。そこで、まずそれらを列挙してみることにする。
    
"He is as beautiful as a weathercock."
と、王子の美しさを風向計にたとえているが、王子の際立った美しさを表現するには、格が落ちる比喩である。
    
"weathercock" が比喩表現として用いられる場合、
    
"as changeable as a weathercock"
という形が多く、「風見鶏のようにくるくる向きが変わる」ということから、「気が変わる・考えが変わる」という意味で用いられることが多い。これを王子に当てはめてみると、何かの状況の変化によって、王子の立場や心境が変化していくことを暗示しているように思える。
  また、
    
"He looks just like an angel"
ともあり、王子を
angel にたとえているが、『英米故事伝説辞典』によれば、angel は、「天国で神に奉仕し、その人を奉じて人間界に派遣されるという使者で、元来、性の区別はないが、絵画などでは女性として表わされている」とある。また、Webster's Dictionary によれば、ギリシャ語の angeloi = messenger に由来し、口語的な表現としては、
    
"a supporter who provides money, a sponsor"
という例があげられている。 この angel という比喩からは、女性的なイメージを持ち、人々のために役立とうとする王子の姿が浮かんでくる。
   
"His face was so beautiful in the moonlight that
       little swallow was filled with pity "
からは、月光に照らされて神々しいまでの美しさを見せる王子には、女性的な側面が感じられる。また、この部分は、王子の美しさの感動したツバメの心情が憐れみから愛情に変わっていく過程の発端の部分でもある。
  ワイルド自身が
bisexual な人物であったことはよく知られているが、王子も時には男性的な、時には女性的な側面を見せる。蛇足ながら、"the little swallow" についても同様のことがいえる。"the little swallow" は、作品では、オスの若いツバメとして登場するが、フリースの『イメージ・シンボル事典』によれば、「ギリシャの神話の美と恋愛の女神アフロディーテの鳥」とあり、女性的な要素も持っている。ワイルドがギリシャ文化(ヘレニズム)に深く傾倒していたことから考えてみると、このツバメにも両性的なものが加味されていると見てよいだろう。
  次にあげる、
     
"his lips are red as a pomegranate"
という比喩表現も、 一種異様なものを持っている。
a pomegranate (ザクロ)は、ディオニソスのしたたり落ちた血から生え出た木だといわれるが、太古の信仰やキリスト教などでは、豊饒を表わす女性原理を示すものだと考えられている。男性である王子の唇の赤さをザクロにたとえるのは、やはり不自然であると言わざるを得ない。
  次に、表記の問題に移る。ワイルドは、ある特定の普通名詞の最初のアルファベットを大文字で表記しているが、そこにも何らかの意味が込められていると見るべきであろう。まず、そうした単語を列挙してみることにする。
    
"Town Councillors(市会議員),
    
Mathematitical Master(数学教師),
    
Professor of Ornithology(鳥類学の教授),
    
Mayor(市長),
    
Town Clerk(市職員),
    
Art Professor at the University(美学の大学教授)"
などである。初等・中等教育を受けていた頃のワイルドは、全体としては抜群の成績をおさめていたが、数学だけはきわめて苦手で、いつもそのコンプレックスにさいなまれ、数学の教師を嫌っていたと言われている。また、彼は、老荘的虚無思想と無政府主義思想に共鳴したのち、自らの体験をも踏まえて、「社会主義下における人間の霊魂」という論文を書き、その中で社会主義への共感を示している。そうした彼の思想性からすると、「権力者」である市会議員や市長は批判の対象となり得たであろう。ワイルドは、彼らを大文字で書いて読者に印象づけた上で、彼らの言動の通俗性と無能ぶりを痛烈な表現で皮肉っているのである。また、何でもないことを難解な言い回しで書く鳥類学の大学教授は、似非学者に見え、美術の大学教授などは、唯美主義・芸術至上主義を貫いたワイルドには、きわめて軽い存在に思えたのであろう。ワイルドの前にこうした人物が実際に存在したかどうかはわからないが、権威のみを背景にして威張り散らす人物や、肩書きだけで威張る人物は存在しただろう。おそらく彼は、そうした人物を批判したかったのだろう。
  最後に、作品の中で繰り返し用いられるリフレインについて述べる。
    
"Swallow, Swallow, little Swallow"
という呼びかけのことばが繰り返し用いられているが、そのリフレインがストーリーの展開と相俟って、王子とツバメとの間の愛が漸層的に高められていく。王子は、自分の身を飾っている宝石や金箔を貧しい人々に与えて、彼らの生活苦を救おうとするが、自らは体を動かすことができないので、その実行をツバメに頼まなければならない。ツバメに対する王子の優しい呼びかけが繰り返し行われる
ことによって、ツバメの心は、次第に解きほぐされていく。それまで自己中心的であったツバメも、王子の優しさに打たれて、他者に対する愛に目覚めていく。王子は、愛の行為の手始めとして、粗末な家でお針子をしている母親と、熱を出して寝込んでいる男の子にルビーを届けさせる。2番目に、凍えるような屋根裏部屋で、戯曲を書いている青年にサファイアを、そして3番目に、雪の中を裸足で歩きながらマッチを売っている少女に、もう一つのサファイアを届けさせる。王子が宝石を与える対象は、順を追ってより貧しい人物が選ばれている。一方、王子とツバメとの対話は、順を追ってより優しさに満ちてくる。二人の間の友情と愛は、こうして次第に高められ、至上の愛へと導かれていく。
  『幸福な王子』は、悲しい結末ながらも、読者の心にほのぼのとしたものを残してくれる作品であり、主題も美しいが、文体や表現のすばらしさがそれを支えていると言ってよいだろう。
                        
     「日本イギリス児童文学会・会報」1195年 春季号

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