(三)アボリジニの神話について

                   (文・写真)恩田 満

 オーストラリアは、観光や貿易などを通して、この10年あまりの間で、急に身近な国になってきたが、アボリジニとかアボリジナルと呼ばれる先住民の、生活や文化については、日本ではまだ知られていない。
  アボリジニは、北半球がまだ氷河におおわれていたころ、4万年ほど前から、何百世代にもわたる長い長い年月をかけて、東南アジアの幅広い地域からオーストラリア大陸へ移住した民族だと言われている。彼らは、採集生活を続けながら南へ南へと移動し続けていったが、当時それが可能だったのは、東南アジアとオーストラリア大陸が陸続きでつながっていたからである。彼らが、いつ、どこから、どのような方法で渡ったかについては、考古学的にはその詳細に不明なところが多いが、彼らの間に伝わる神話や伝説がそのあたりのことを興味深く伝えている。
  アボリジニがドリームタイムと呼ぶ夢幻時代の神話の中には、天地創造・人類創造の話しはもとより、どのようにして自分たちの祖先がこの土地にやってきたかということや、太古の昔に起こった自然界の劇的な変化などに言及したものがある。

 

 "Legends of the Dreamtime"(仮題『神々の時代の伝説』)の第3話に、"The Sun-woman and the the Moon-man" というのがある。  プルクパリという名の「世界で初めての人間」が仲間のジャパラという男と木をこすり合わせているうちに火が生まれるという「火の起源」を述べたもので、これだけではなんの変哲もないが、面白いのはそのあとの話である。プルクパリは、その火を二本の松明に移し、大きな松明を妻のウリュープラナラに渡し、小さな松明をジャパラに渡す。二人はそれぞれ松明を持って天に昇り、ウリュープラナラは「太陽女」、ジャパラは「月男」に変容するのである。女が太陽で、男が月という組み合わせは、日本の『古事記』に見る、太陽の女神アマテラスと月の男神ツクヨミの場合や、東南アジアのいくつかの地域の神話や伝説に類似のものがあるが、西欧世界では、めったにその例を見ないであろう。
  この差異がどこからきているかについては、さまざまな議論があろうが、アボリジニ神話の側に立ってこれを見ると、彼らの生活や文化と密接なかかわりを持っていることがわかる。その一例を、狩りで倒したカンガルーの肉の分配方法に見ることにする。美味でもっとも良い肉は、長老か妊婦に与える。他のよい部分の肉は、女性や子どもたちに与える。ハンターたる男たちは、残ったあまり質のよくない肉を受け取るという厳格なしきたりがある。彼らの世界では、女性が尊重され、老人や子どもなどの社会的弱者が大切にされているのである。太陽が女性の象徴であることと、こうした彼らの生き方とは決して無縁ではないだろう。
  第17話の "The Numbakulla and the First Aboriginese" は、オーストラリア中央部に伝わる人類創造の神話だが、海に囲まれた日本や海に浮かぶ太平洋の島々の神話とはかなり趣を異にしている。「世界巨人」ともいうべきナンバクラ兄弟が天界から降臨し、大きな岩の中から人間の形をしたものを石のナイフで切り出し、それに目鼻や口などの切り込みを入れて人間にするという話である。岩の中から人間が生まれるという考え方は、オーストラリア中央部の荒涼とした風土や自然条件と結びつけてみると、なるほどさもあらんとうなずけるものだが、はたしてこの岩は太古の時代の何を象徴したものだろうか。それが興味深い。
  また、人間以外の生き物の誕生や、大自然の創造についても、アボリジニの神話は、極めてユニークな内容を持っている。

 「ドリームタイムには、人間だけがこの世に存在していた。人間たちは、 何かのできごとがあってのちに、ある者は、太陽や月に、 山や川に、そしてある者は、さまざまな生き物に姿を変えた」

とアボリジニの神話は語っている。日本の神話や伝説などでは、人間が何かに変容するとき、それが過ちの結果である場合が多い。しかし、アボリジニの神話では、りっぱな行いをした者が星となって美しく輝くという場合もあれば、悪事を働いた者が地上を追われて星になるという場合もある。また、生き物に姿を変える場合も同様であって、仏教の因果応報思想のような考え方は見当らない。
  ところで、彼らの神話では、生き物に姿を変えるという内容が多いが、これは、自分たちの回りにたくさんの生き物が存在したという現実を反映したものと考えてよいだろう。
  彼らは、ドリームタイムにはすべてのものが人間だったのだから、
仮にいま人間以外のものに姿を変えていても、全宇宙にあるすべてのものが自分たちの仲間だ、と考えていたのではなかろうか。 
 だからこそ、彼らは、大自然を慈しみ、自分たちもその一部と考えて、調和を保ちながら生き続けてきたのである。

1992年4月号『日本児童文学』(文渓堂)
                 <世界の窓・国際部のページ)

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