(二)オーストラリア先住民・アボリジニの神話2

                         恩田 満

 オーストラリアの先住民アボリジニの神話は、日本の神話や昔話、あるいはヨーロッパの神話や伝説などを読む感覚でいくと、話の内容がたいへんつかみにくい。プロットの展開の仕方がかなり異なっていたり、テーマを完成させるための帰結の方向がかなり異色であったりするからである。
  われわれが神話や伝説などを読むときに、話の発端から展開の部分まで読み進んでくると、その結末が見えてくることがしばしばあるが、しかし、アボリジニの神話は、どんな予想を立てても結末が予想とは一致しないのである。その結末は、しばしば意外性をもってわれわれを驚かせるものになっている。われわれの持つ論理的基準と彼らのそれとが大きく異なるのである。それでは、彼らの造話能力や創造性が劣っているのだろうか、とも考えてみたりするが、どうもそれは当たらないようである。というのは、彼らの世界に厳として存在する平等の原則や博愛の精神は、かなり質の高いものであり、「近代文明」を持ち「先進国」に住むといわれるわれわれが、むしろ彼らから多くのものを学ばなければならないからである。男女平等の精神や社会的弱者に対するものの考え方などがそれである。(詳しくは、次に掲げる(三)の文章を参照されたい)また、洞窟の壁画や木彫りの彫刻に見られる造形性や抽象力の高さはすばらしいものである。道具などに見る彼らの「文明」の水準は石器時代のものであるが、「文化」の水準はかなり高いものと見てよいだろう。したがって、約4万年にもわたって彼らが累々として口承してきた神話もまた、それなりの高い水準を持っているものと見なすことができよう。
  そうした見解に立って、彼らの神話を分析してみることにするが、それに先だって、彼らの生き方の根幹にある考え方を示しておきたい。彼らは、つねに大自然を愛し、大自然とともにあり、人間もまた大自然の一部であるという考え方に立っている。さらに彼らは、地上ばかりでなく海底や天界までを含む全宇宙が自分たちとともに生きる共同体であるという認識を持っているのである。

 分析に当たっては、
    〈THE DREAMTIME〉─ Australian Aboriginal Myths
                 (by Roberts and Mountford)
を底本として用いた。ここには、32話に及ぶさまざまな地域の神話が載せられているが、それらを以下のような項目に分類してまとめることにする。

1[テーマ]
  一話が一テーマとは限らず、サブ・テーマなどを加えて、二つ以上のものもある。テーマ別に分類してみると、彼らの生活の根幹に関わるものが多いことがわかる。

 A タイプ(天地創造・人類の起源)
  第3話 ─ 世界で初めて現れた人間が火を作り、大きな火を女に渡し、小さな火を男に渡す。二人は火を持って天界に昇るが、大きな火を持った女は太陽になり、 小さな火を持った男は月となる。(太陽が女を、月が男を象徴する)
  第11話 ─ 造物主が山や谷や川を作る。カンガルー・爬虫類・鳥類などを作る。(人間は作らない。人間はもともと存在しているという考え方)

 B タイプ(火の起源・死の起源)
  火の起源については、人間が木と木をこすりあわせているうちに火が発生する話(第3話)、山火事から山火事から火がもたらされる話(第6話)、雷光による話(第6話)、天界の星が地上に降りてきて火となる話(第6話)などがあるが、 世界各地に見られる「火の起源」の神話と大きな差異はない。
  第8話 ─ 人妻と独身男の背徳行為の結果、子どもを死なせてしまう。 わが子の死を悲しんだ父親がその亡骸を抱いて海に入り、「息子が死んで帰らぬように、今後すべての生き物に死というものが訪れ、二度と帰らぬものだ」と宣言し、それを天の声として定めた。 (厳格な夫婦のモラルがあり、 それに背けば死がもたらされる)

 C タイプ(食べ物や水)
  食べ物や水をめぐっていさかいを起こすという話が多いが、ほとんどの場合は、他人が苦労して手に入れたものを奪うところから始まっている。いさかいの結果、どちらかが、他の生き物に「変容」する例が多いが、 悪者が「変容」するとは限らない。 (第5話)(因果応報や勧善懲悪などの考え方はない。食べ物を貯蔵したり、生産したりすることをせずに、すべてをその日暮らしの採集に頼っていたアボリジニの生活実態に起因する。「食べ物」の中には、人肉も含まれ、カニバリズムのあったことが想像されるが、用例が少ないので、項目立てをすることを避けた)

 D タイプ(求婚・結婚・不倫)
  若いカップルの幸せな結婚というハッピー・エンディングもあるが、好色な老人が若い娘に言い寄るという形が多い。この場合は、かならず不幸な結末になっている。 (第4・9・15・19話など)

 E タイプ(干ばつ・洪水・嵐)
  アボリジニの各部族には、かならず自分たちのトーテムとして崇めているものがあり、誰かがその神聖さを犯すとさまざまな自然災害がもたらされる。
  第10話 ─ コアラを虐待すると干ばつになる。
  第12話 ─ 大蛙が地上のすべての水を飲み込んでしまい、干ばつに見舞われるが、ウナギが出て来て、おかしな動作をして大蛙を笑わせ、水をすべて吐き出させる。
  第22話 ─ 川に住む蛇の化身である雷神男は、自分の聖域に他人が足を踏み入れたことに怒り、大嵐を巻き起こす。

 F タイプ(○○はなぜ○○なのか)
  第1話 ─ なぜペリカンの色は白と黒なのか。
  第2話 ─ なぜカンガルーの後ろ足は長いのか。
  第26話 ─ なぜカラスは色が黒いのか。

[テーマ]をまとめてみると、単純でかつ人間にとって根源的な事柄が中心になっていることがわかる。財産や地位などという、人間の生存に直接には関わらない、二次的な事柄は、まったく見当たらない。

2 [プロット]
  アメリカの民話・民俗学研究家アラン・ダンダスは、『民話の構造』という著書の中で、アメリカン・インディアンの神話や伝説は「欠如」から「充足」へという構造になっているものが多いと述べている。これは卓見であり、世界中の多くの神話や伝説に当てはめることができると思われるが、アボリジニの神話では、残念ながらそうは言えない。例えば、第9話 ─ メルビル島のマルディアニ族は、無原則な男女関係を持つ生き方をしてきたが、いつかそれが人々のいさかいの種になり、死者までが出るようになった。人々はそれを憂えて天界に昇り、男たちは銀河に、女たちはその近くの星座に「変容」した。夜になると、銀河(=男)は、星座(=女)を追いかけるが、決して追いつくことはできない。昼になると、どちらも姿を消す。再び夜がやってくると、この追いかけっこが始まるが、両者の距離は永遠に縮まらない。
  この話は、アラン・ダンダスのいう「欠如」から「充足」へという方向になっていない。ところがこれを「不安定」から「安定」へという方向でプロットの展開をとらえてみると、うまく当てはめられそうである。そこで、アボリジニの神話を、この方法で分類することを試みてみた。すると、32話のうち24話が「不安定」から「安定」へという形で終わっていることがわかった。「安定」は、彼らにとって、今の生活そのものであり、現状であることを意味している。かつて「不安定」であった何かが何らかの要因により「変容」して、天界や地上にあるさまざまな物となることによって、今の宇宙や大自然ができあがったのだと彼らは考えているのである。
 結論めかしていえば、彼らは4万年の長きにわたり、石器時代の文明で生きてきたわけだが、「文明」の進歩や発展を望まず、安定や安住、あるいは旧習を求め続けてきたのだといえよう。

3 [「変容」について][全体のまとめ]
  「ドリーム・タイム(夢幻時代)には、人間だけが存在していた。
そして人間は、何かの出来事があった後に、太陽や星に、山や川に、または様々な生き物に姿を変えた」とアボリジニの神話は語っている。
  日本の神話や伝説などでは、人間が何かに「変容」するとき、それが過ちの結果である場合が多い。しかし、アボリジニの神話では、りっぱな行いをした者が星となって美しく輝くという場合もあれば、悪事を働いた者が地上を追われて星になるという場合もある。また、人間が生き物に姿を変える場合でも同様なことがいえる。数の上では、人間が生き物に姿を変えるという話が多いが、これは、彼らのまわりに多くの生き物が存在したという現実の反映であっただろう。   彼らは、夢幻時代には全宇宙のすべてのものがもとは人間だったのだから、仮にいま人間以外のものに姿を変えていても、ありとあらゆるものが自分たちの仲間なのだ、考えていたのではなかろうか。だからこそ、彼らは、大自然を慈しみ、自分たちも大自然の一部であるとして、大自然と調和を保ちながら生きてきたのである。

                        
「日本イギリス児童文学会・会報」91年秋季・92年春季合併号
                  91.11.10 中京大学にて発表。

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