反骨と直情径行の人「坊っちゃん」

恩田 満

 日本の社会は、儒教思想が伝来してから長きにわたって、「男性原理」が基本となってきた。その男性原理の根本はさまざまな形の「戦い」に勝つことであった。国と国との間では、戦争に勝つこと、個人と個人の間では勝ち抜いて権力や権威を手にすることであった。こういう男性原理を『坊っちゃん』ではすべて否定している。主人公「坊っちゃん」の言動には、あらゆる権威に対する反骨の精神が現れている。時にはやせ我慢的なユーモラスな言動や、江戸っ子的な軽薄さや尊大さが見受けられたりもするが、基本には権力や権威に対する嫌悪感にあふれている。これらの特徴を作品の中から抜き出し、検証を試みることにする。その際に、単に『坊っちゃん』のみについて述べるのではなく、漱石の他の作品や当時の時代背景などをも考慮に入れながら論証していきたいと思う。(本文の引用は新潮文庫による)

一 坊っちゃんの性格…「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」(一 冒頭・P5、一 後半・P16に二回、二 中半・P23)に見られるような、後先を考えない江戸っ子的な無鉄砲さが先ず挙げられる。続いて、「清が物をくれる時には必ずおやじも兄も居ない時に限る。おれは何が嫌だと云って人に隠れて自分だけ得をする程嫌なことはない」に見られるような平等精神もその性格としてあげられる。また、「坊っちゃん」は、「山嵐」と共謀して、奸物の「赤シャツ」と「野だいこ」に対して、「貴様等は奸物であるから、こうやって天誅を加えるんだ。これに懲りて以来つつしむがいい。いくら言葉巧みに弁解が立っても正義は許さんぞ」と山嵐が云ったら両人共だまっていた。ことによると口をきくのが退儀なのかも知れない。
「おれは逃げも隠れもせん。今夜五時までは浜の港屋に居る。用があるなら巡査なりなんなり、よこせ」と山嵐が云うから、おれも「おれも逃げも隠れもしないぞ。堀田と同じ所に待ってるから警察へ訴えたければ、勝手に訴えろ」と云って、二人してすたすたあるき出した。
「坊っちゃん」は、このあと校長宛に辞表を書いて学校を去るわけだが、ここには、直情径行な正義派としての特徴が見受けられる。

二「教育勅語」的な教育観への反発…校長が「坊っちゃん」に語った「教育の精神について長い御談義」について「坊っちゃん」は「おれみた様な無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無闇に法外な注文をする。そんな偉い人が月給四十円で遥遥こんな田舎へくるもんか」(三 前半 P32)と反発するとともに、「教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するかまるで無頓着であった」という具合で、教育に対してあまり熱心さを持っていなかった。むしろ、教師という職業を腰掛け的に考えていたと言って好いだろう。こうした考え方は、その後に漱石が歩んだ道とも一致して興味深いものがある。当時のお堅い教育観に対して「坊っちゃん」は、斜に構える形で反抗の姿勢を示した。また、生徒が宿直室にバッタ(本当はイナゴ)を大量に投げ込んで「坊っちゃん」をてんてこ舞いさせるという事件が起きたが、これも生徒の行為という体裁を取りながら、教育勅語に対する反感を示したものと言うことが出来るだろう。当時の公立の中学校の宿直室には必ず天皇の「御真影」と「教育勅語」が掲げられていたと伝えられている(明治二十四年十一月十七日の文部省訓令第四号)。その事実を知る人が宿直室の「バッタ事件」のくだりを読めば、すぐにそのことに気づいたであろう。おそらく漱石は、松山中学の教師時代に宿直をした経験があり、それを思い出しながら、「漸くのことに三十分ばかりでバッタは退治た。箒を持って来てバッタの死骸を掃き出した。小使が来て何ですかと云うから、なんですかもあるもんか、バッタを床の中に飼っとく奴がどこの国にある。真抜め。と叱ったら、私は存じませんと弁解した」(四 中半 P46)と書いたのであろう。これは乱暴な言い回しでもあり、江戸っ子的な軽薄さ尊大さが見受けられるが、一方で「教育勅語」的な教育のあり方を皮肉ったのではなかろうか。そこで、その間連を見るために「教育勅語」を引用してみることにする。

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ(私の思い起こすことには、わが皇室の祖先たちが国を御治めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした)。我カ臣民克ク忠ニ孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥の美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實に此ニ存ス(我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります)。爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力し合い、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです)。(後略)」

三 戦争および軍国主義への反発
 漱石は戦争を嫌っていた。明治時代には二つの戦争があった。日本は、日清・日露の戦争に勝利し、世間には軍国主義的な風潮が強まっていた。だが、漱石はこうした風潮を冷ややかに見ていた。『坊っちゃん』にもそれが現れている。「坊っちゃん」は、天麩羅蕎麦を四杯食べた翌日に「天麩羅先生」と黒板に書かれ、生徒たちの笑いを買った。それに対して「坊っちゃん」は「天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらかすんだろう」(四 後半・P38)と反応しているが、日露戦争勝利と天麩羅蕎麦を四杯食べたこととはまるで次元が違う。それを同列に扱うのは、日露戦争の勝利に沸き立つ世間を冷笑しているように思える。なお、日露戦争の祝勝会については他に何か所で触れているが、いずれの場合(十 冒頭・P143、P147、P152)も冷ややかな描写に終わっている。
 『坊っちゃん』発表の直前に書かれた、『趣味の遺伝』(明治三十九年一月)には、日露戦争とその勝利の祝勝会について驚くべき描写がなされている。主人公の空想の形はとっているものの、日本中が祝勝会や提灯行列で沸きかえっている最中に次のような厭戦的な内容が書かれたことは注目に値する。この作品は、「陽気のせいで神も気違いになる。『人を屠りて飢えたる犬を救え』と雲の裡より叫ぶ声が、逆しまに日本海を撼かして満洲の果まで響き渡った時、日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた」という一節で始まっている。日露戦争を、いや戦争そのものが頭の狂った屠殺行為であると断じている。さらには、英雄として熱狂的に崇められた乃木希典陸軍大将に対して、「一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦けた、胡麻塩髯の小作りな人である。左右の人は将軍の後を見送りながらまた万歳を唱える。余も(中略)周囲のものがワーと云うや否や尻馬についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦けた色が見えた。将軍の髯の胡麻塩なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった」と、主人公はとまどいのようすを示している。この一節からは、日露戦争の英雄に対して敬意を払うようすはまったく感じられない。
 漱石は、『それから』でも戦争について「親爺は戦争に出たのを頗る自慢にする稍もすると、御前などはまだ戦争をした事がないから、度胸が据わらなくって不可んと一概にけなしてしまう。あたかも度胸が人間至上な能力であるかの如き言草である。代助はこれを聞かされるたんびに厭な心持がする」(新潮文庫 P31)と書き、一貫して戦争に対する嫌悪感を表明している。

四 差別的なバイアス
漱石は、最も早く近代的自我に目覚めた知識人であり、ヨーロッパの平等主義を学んだ人であったが、それでもなお完全には差別的なバイアスからは脱却できていなかった。「うらなり君」の送別会で「坊っちゃん」は、「野だが箒を振り振りして行く手を塞いだ。おれはさっきから癇癪が起っているところだから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳骨で、野だの頭をぽかりと喰らわしてやった」(九 後半・P142)という行動をとっている。ここで「坊っちゃん」が発した言葉「ちゃんちゃん」には明確に差別的な意味あいがあった。当時の様子を述べた萩原朔太郎の作品『日清戦争異聞―原田重吉の夢』を例にとってこの言葉の意味を考えてみることにする。

 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴虐無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。(中略)そして「恨み重なるちチャンチャン坊主」が、至る所の絵草紙店に漫画化されて描かれていた。そのチャンチャン坊主の那兵たちは、木綿の綿入れの満州服に、支那風の木靴を履き、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、辨髪の豚尾を背中に長く垂らしていた」

 朔太郎は、この作品を反戦的・厭戦的な気持ちを持って書いたのだが、ここには日清戦争当時の日本人が中国人を蔑視していた風潮が鋭く反映されている。漱石が差別的な意味合いを感じないで「ちゃんちゃん」という言葉を使ったとは思えないのである。

五 三角関係的な略奪愛
 「坊っちゃん」が二度目に下宿することになった萩野家の御婆さんと「坊っちゃん」との対話(七 前半・P96)に次のような一節がある。

「渾名の付いている女にゃ昔から碌なものは居ませんからね。そうかも知れませんよ」
「ほん当にそうじゃなもし。鬼神のお松じゃの、妲妃のお百じゃのてて怖い女が居りましたなもし」
「マドンナもその同類なんですかね」
「そのマドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたを此処へ世話をして御くれた古賀先生なもし――あの方の所へ御嫁に行く約束が出来ていたのじゃがなもし――」
(中略)
「ところが、去年あそこの御父さんが、御亡くなりて、――それまでは御金もあるし、銀行の株も持って御出るし、万事都合がよかったのじゃが――それからと云うものは、どういうものか急に暮し向きが思わしくなくなって――つまり古賀さんがあまり御人が好過ぎるけれ、御欺されたんぞなもし。それや、これやで御輿入も延びているところへ、あの教頭さんが御出て、是非御嫁にほしいと御云いるのじゃがなもし」
「あの赤シャツがですか。ひどい奴だ。どうもあのシャツは只のシャツじゃないと思ってた」

 この後マドンナは、婚約者の古賀先生を裏切って赤シャツになびいていくわけだが、これは、明治三十一年から三十六年にかけて春陽堂から出版された尾崎紅葉の小説『金色夜叉』の主人公、間貫一とその許嫁であった鴫沢宮の関係と類似点を持っている。宮は貫一と婚約していたにもかかわらず、資産家の富山唯継に見そめられて貫一を裏切るという点でその展開が似ている。また、この対話の意味深長な最後の一節「どうもあのシャツは只のシャツじゃないと思ってた」はどう考えたらいいのだろうか。スタンダールの小説『赤と黒』に、ナポレオンと赤い軍服に憧れた主人公ジュリアン・ソレルが黒い僧服をまとって、町長の妻レナール夫人を誘惑する話があり、赤という色の一致と略奪愛という点で共通点があるがあるが、それと何らかの関係があるのだろうか。
 三角関係的な略奪愛のテーマは、漱石作品の一つの主要な流れとなっていく。『坊っちゃん』の場合は、正義感のもとに戯画化されていて主要なテーマにはなっていないが、『野分』での高柳周作と中野の妻、『それから』での長井代助と平岡の妻、『こころ』での先生とKの恋人の場合は、三角関係と略奪愛がその主要なテーマになっている。この角度から見ると、この三つの作品はある意味での三部作とも言えようか。

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